2021年7月11日  巻頭言

わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。

マタイの福音書 7章21節

 このみことばに触れると、自分は主のみこころを行えているだろうか?と問われます。口先だけで行動が伴わない者ではないようにと願います。しかし、みことばを読むと、事は単純ではないと思うのです。
 22、23節には、口先ばかりでみこころを行わずに退けられた人々が描かれています。彼らは「主の名によって行動した」人々でした。何もしなかったのではありません。みことばを語り、悪に立ち向かい、驚くべき業を行ったのです。「口先ばかり」と言うと、「怠慢」「やるべきことをやらない」「問題行動をする」という印象を持ちがちです。ところがここで言われる人々はそうではなく、よく行動し正しさを求める社会的に真面目な人々で、人間的には熱心な信仰者と見える人々です。その人々が「不法を行う者たち」と退けられているのです。
 彼らの何が問題だったのでしょうか?
 それは彼らが自分の行いを誇ったことです(22節)。「自分は天の御国に入るに足る行いをした」という自己義です。神中心ではなく自己中心な考え方で、そこに神の御心にかなった生き方は伴わないのです。
 「不法を行う者たち」(23節)の引照としてマタイ25章41節が示されています。そこ(31~46節)には終末に関する「羊とやぎのたとえ」が記されており、やぎは「のろわれた者ども」と言われて退けられます。彼らの問題は、人々に愛と憐れみを示さなかったことです(45節)。神への信仰は他者への関係に証しされることが望まれます。私たちが神に仕えると言って熱心に奉仕をしたとしても、それが自分の自慢になったり、同じようにできない人を責めるならば、それは主のみこころに生きるのではなくパリサイ人たちの姿に通じます。
 大切なことは神の前に自分を省みて (7章1~5節)、自分には神の助けが必要であることを認め、神を求めることです。

主任牧師 荻野 泰弘

7月11日 礼拝順序

第1礼拝 9時  司会:荻野牧師 奏楽:荻野し兄
第2礼拝 11時 司会:荻野牧師 奏楽:榊原姉 

前  奏
招  詞 ヨハネの福音書6章35節
会衆賛美 聖歌40(1,2節)
会衆賛美 神の国と神の義を(1回)
主の祈り
交  読 詩篇1篇1~6節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 7章21~27節
説  教 みこころを行う者となる
          荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌518(1,2節)
献  金 
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
感謝祈祷  奏楽