2022年8月21日  巻頭言

雹はエジプト全土にわたって、人から家畜に至るまで、野にいるすべてのものを打った。野の木もことごとく打ち砕いた。ただ、イスラエルの子らが住むゴシェンの地には、雹は降らなかった。

出エジプト記 9章25,26節

 主は、エジプトで奴隷として虐げられていたイスラエル人を顧みて、彼らをファラオの支配から解放すべくモーセを遣わしました。しかし強情なファラオはイスラエルを解放しようとせず、モーセを遣わした主に対しても不遜な態度を取りました。そこで主はエジプトに十の災いを送りました。
 ナイル川の水が血に変わったことに始まり、蛙、ブヨ、アブ、疫病、腫物、雹、いなご、闇が次々とエジプトを襲い、最後は各家庭の長子が打たれて死にました。
主はどのような意図で十の災いをエジプトにもたらしたのでしょうか。
 それは、主こそ真の王、真の神であることを人々に悟らせ遜らせるためです。
 時に人は、大きな出来事を経験しなければ見るべきものを見ることができず、気づくべきことに気づかないということがあります。主は、自分の力がすべてだと高ぶるファラオとエジプト人に災いを送り、人間がいかに小さく儚い存在であるかを示したのです。それは、真の神へ立ち返れという主のメッセージでした。
 そしてこの出来事は、イスラエルに対する主の語りかけでもありました。
 エジプトに襲いかかる十の災いの渦中にイスラエルも身を置いていました。ナイル川の水が血に変わったことや蛙・ブヨ・アブの大群を目の当たりにして、彼らも恐れて不安を抱いたことでしょう。しかし、彼らが住むゴシェンはすべての災いから守られました(26)。イスラエルは十の災いを通して、主が天地万物を支配される御方であることを悟り、なおかつ、主が自分たちを守ってくださることを経験したのです。
 「神は裂いて包む御方」「神の裁きは救いである」という言葉があります。私たちは不幸と思える出来事があると、なぜこんなことが起こるのかと嘆き、時に主への不信を抱くことがあります。けれども主は、災いと思えることを通しても人に問いかけるのです。人が「私は主を知らない」という生き方を改めて、真の神と共に生きることを求めているのです。神の働きかけとそこにある語りかけになんと応答するか。それが私たちに問われていることです。


主任牧師 荻野 泰弘

2022年8月21日  聖日礼拝 式次第

第1礼拝 9時  穂谷牧師  荻野し兄
第2礼拝 11時 (録画放送)

招  詞 マタイ11章28節
会衆賛美 聖歌35(1~4節)
会衆賛美 神の国と神の義を(1回)
主の祈り
交  読 詩篇5篇1~12節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 出エジプト記 9章13~26節
説  教 神の働きかけ
           荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌407(1~4節)
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
後  奏 感謝祈祷