2023年11月12日 巻頭言
しかし、イエスは言われた。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです」
マタイの福音書 19章14節
今日は児童祝福式。シオン教会では、毎年この時期に合わせて子どもたちの祝福を祈ります。シオン教会の1年を見渡すと、ほかにも「献児式」「二十歳の祝い(以前は、成人祝福式)」「敬老の祝い」、また、「墓地礼拝」「召天者記念会」など人生の節目を記念する機会がいくつもあります。
これらを行うのは、日本社会の行事を取り込んでいるからではありません。教会が人生の節目を記念するのは、教会が神の民・神の家族として主に集められているからで、今ここに共にいるお互いの人生を覚えて祝福を祈るためです。
人は一人では生きられません。互いに支え合い、助け合うことで人生を豊かに生きます。そこには面倒なこともあります。泣き叫ぶ子どもの声に耐えながら世話をし、生意気を言う若者の声を寛容に受け止め、上から目線でモノを言う大人の言葉に忍耐深く耳を傾ける。世代が違えば価値観も異なり、時に同じ日本語を使いながら、まるで異星人と会話をするような難しさを感じることが、教会にもあるのです。けれども、それが共同体であり、教会の交わりです。
イエス様のもとに子どもたちが連れてこられたとき、弟子たちはそれを追い払おうとしました。
ユダヤ社会では20才以上の男性だけが数えられました。女子どもは数には入りませんでした。弟子たちは、忙しい先生を煩わせてはいけないと思ったのかもしれません。子どもたちは大人を煩わせる存在と上から目線で見たのでしょう。生産性の低い者を邪魔と見るのはこの世の価値観です。
しかしイエス様は違いました。「手を置く」(15)とは祝福を祈ることです。子どもたちの未来のために祈りました。イエス様は立場や能力で差別せず、幼い子どもたちも一人の尊い存在として目を留めました。
人の世には様々な差別や壁があります。自分に都合の悪いモノは排除したくなるのが人間です。しかし主は人間を神の愛に招いておられます。私たちはこの神の招きにどのように応答しているでしょうか。
主任牧師 荻野 泰弘
2023年11月12日 聖日礼拝式次第
第1礼拝 9時 荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野と兄 榊原姉
前 奏
招 詞 イザヤ書60章2節
会衆賛美 25
会衆賛美 神の国と神の義を
主の祈り
交 読 詩篇128篇1~6節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 19章13~15節
説 教 子どもを招くイエスさま
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌713
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
児童祝福式・献児式
感謝祈祷 奏楽