2025年2月2日 巻頭言
「ベニヤ民の地でも、エルサレムの近郊でも、ユダの町々でも、山地の町々でも、シェフェラの町々でも、ネゲブの町々でも、人々は金で畑を買い、証書に署名して封印し、証人を立てるようになる。わたしが彼らを元どおりにするからである―主のことば」
エレミヤ書 32章44節
「主の裁きは救いである」と聞いたことがあります。
聖書が示す神は聖く、正義の神であるから、罪を見逃すことはなさいません。しかし、愛の神でもある主は、裁きを通して人を正し、新しく建て上げてくださるというわけです。
私たちは時に厳しい境遇を潜り抜けなければならないことがあります。自分の罪や至らなさが示されて苦しく感じられることもあります。けれども、その時に、罪人をなおも愛して回復してくださる主の救いに思いを向ける時、私たちは希望をもって困難の道を進むことができます。
エレミヤ書32章のエレミヤの姿には大きな励ましを受けます。
彼は、無実であり、主に真実に仕え続けました。けれども、その真実の故に彼は迫害を受けて監禁されます。時は都エルサレムがバビロンの大軍に包囲されて風前の灯。エレミヤ三九1,2によれば、翌年には都が破られます。愛する祖国の滅亡を目の当たりにして、自分がいくら語っても耳を傾けてもらえない…。エレミヤの胸中はいかばかりであったでしょう。
そんなときに、主はエレミヤに故郷アナトテ村の土地を買い戻すように命じます。エレミヤは、今にもバビロンに奪い取られてしまう状況で、土地を持つことに何の意味があるのか?と疑問を抱きます(三二24,25)。
しかし、これは、エレミヤと心ある人々に向けられた主のメッセージでした。今は厳しい状況で、もうすぐ都エルサレムも南ユダ王国も攻め滅ぼされ国民は散らされる。けれどもこれは再生のためだというのです。主は、必ず、もう一度、神の民がこの地で自由に暮らすように導くと約束するのです(42~44)。
果たしてその約束は、およそ70年後に成就します。エズラ二23、ネヘミヤ七27には、バビロンからの帰還民にアナトテ村の人々128人がいたと伝えます。
伝承によれば、エレミヤが土地を買い戻した時に契約を代行したバラクは、バビロン捕囚からの帰還を導いたエズラの教師となったそうです。主の希望の約束はバラクによって伝えられ、捕囚の民の心に希望を与えたでしょう。困難にあっても、主のみことばを握って主に望みを置く人を通して、主は人々に希望の光を見せるのです。
主任牧師 荻野 泰弘
2025年2月2日 礼拝式次第
第1礼拝 9時 荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 吉田潔兄 髙橋美姉
前 奏
招 詞 詩篇46篇10節
会衆賛美 聖歌29 たたえまつれ
会衆賛美 神の国と神の義を(2回)
主の祈り
交 読 詩篇13篇1~6節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 エレミヤ書32章1~8節
説 教 回復の主に信頼する
荻野泰弘牧師
聖 餐 (第2礼拝)
会衆賛美 聖歌642
望みも消えゆくまでに
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽
※第1礼拝は、礼拝後に聖餐式