2025年8月10日 巻頭言

 今朝は「この恵みのゆえに」と題してお話を進めます。
 過日、O県の山間地の町で六〇年にわたり教会活動を続けている私の先輩からある話を聞き、そのことにすごく感動しました。
 その先輩は、聖宣神学院在籍の当時、S県の西部にある小さな市に教会開設の開拓伝道にもう一人の先輩と派遣されました。その時、そのもう一人の先輩が、ある大先輩の先生からみことばを聞きました。それは、ルカ十七章十節(文語体で)「われらは無益なるしもべなり。なすべきことをなしたるのみと言え」というみことばです。もう一人の先輩から話を聞いた私の先輩は、それ以来六〇年間、ずっとこのみことばを心に留め今日に至っているのだそうです。私は感動しそれ以来、『謙遜・へりくだる』との言葉が私の心に深く留められています。
 そして同時に、冒頭のみことばの特に「この恵みのゆえ」が強く迫ってまいりました。
 今ある私という存在が「この恵みのゆえに」あるということです。この地に生を受けて以来今日に至るまで、その一切はひとえに「恵みのゆえ」に尽きます。
 「我は無益なしもべなり。なすべきことをなしたるのみと言え」
 「謙遜」こそ伝道者として生きてきた私の信仰の原点。誇りと傲慢の罪こそ大敵。「恵み」について一節から七節で三つを取り上げます。

一、教会形成の素材
 「あなたがたは自分の背き(罪過)と罪の中に死んでいた者であって…」。罪過は間違った歩み。罪は人生の的を射るのに失敗すること。この二つは道徳的、霊的死です。
 「かつては、それらの罪の中にあって、この世の流れに従い…」。これはこの世の生き方に従っていた姿です。
 「空中の権威を持つ支配者…に従って歩んでいた」。神に反抗する悪魔に従って生きてきたのです。
 「私たちもみな不従順の子らの中にあって…」。キリストのない自己自身の道を生活して「生まれながら御怒りを受くべき子ら…」として神の刑罰を受ける宣言です。

二、教会形成の手段
 それは「神の恵み」です。罪の中に死んでいた者をキリストと共に生かしてくださった。
 「この恵みのゆえに」でしかないのです。

三、教会形成の目的
 「私たちは神の作品であって」。ある方は、私たちは神の作品は『神の芸術品』と言います。
 恵みを施す方は、ヨハネ一章十四・十六節の人となられた神とその臨在です。十六節は、「恵みに代えて恵みを」です。環境が代わる毎に異なる恵みが備えられていくというのです。

田中 英 牧師

2025年8月10日 聖日礼拝式次第

小礼拝  9時~  荻野牧師
聖日礼拝 11時~ 中西け兄 榊原姉

前  奏
招  詞 マタイの福音書 11章28節
会衆賛美 聖歌432 汚れとはじとの
会衆賛美 鹿のように(2回)
主の祈り 
交  読 詩篇52篇1~9節
礼拝祈祷 
使徒信条 
聖書朗読 エペソ人への手紙2章1~10節
説  教 この恵みのゆえに  田中 英 師
会衆賛美 聖歌631 罪に満てる世界
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
報  告
感謝祈祷  奏楽