2025年2月23日  巻頭言

 私たちの人生には苦しみや試練がつきものです。そこから逃れる人生はありません。大切なことは、試練や苦しみに遭遇するときに私たちがどのように対処するかです。
 時として、人は困難な状況に陥った時に孤独を感じます。けれども、そこに誰かが共にいてくれるとき、慰められ、励まされます。問題は解決せずとも進む力を得ます。
 ヘブル書は、試みにあって苦しむ人々に宛てた手紙です。主イエスがあなたの傍らに立ち、共に苦しみを背負っておられるのだと告げ、この御方から目を離さないようにと奨めています(ヘブル十二2)。
 冒頭のみことばは、主イエスが人の苦しみを知り、共感してくださることを示します。
 「同情」(15)とは「経験を共有して同じ感情を持つこと」です。神の子でありながら、この地上に一人の人として生まれて人生を生きた主イエスは、人としての限界や弱さも体験しました。だからこそ、私たちの弱さや痛みに共感できるのです。
 時として、主は何もしてくれないと私たちは感じます。祈っても聞かれてないように感じるとき、それは主が私たちを無視しているのではなく、黙って聴いておられるのです。「優しく接する(別訳・思いやる)」(五2)とは、「気にかけて相手の話を聴く」という様子を表します。人は多くの場合、つらいときには自分の話しを聴いてくれる人を求めます。あれやこれやと指図されることは望みません。主イエスは黙って耳を傾けて私たちに寄り添ってくださると聖書は示します。
 そして、必要に応じた「助け」(16)も与えてくださいます。主の助けを得るためには、主に心を開いて近づくことが必要です(16)。信仰者にありがちなことは、苦しみや試練に遭うと、自分の不信仰や罪が原因だと因果応報に思って自分を責めます。それで主に助けを求めることがはばかられるのです。しかし聖書は告げます。人の弱さを理解してくださる主イエスは私たちを助けてくださる、と。だから、恐れずに主に近づきなさい、主の助けを求めなさいと奨めます。
 苦しみに遭うことは望ましくありません。多くの場合、その意味と理由のすべては分かりません。けれども、主は苦しみにも意味を与えてくださいます。神は苦しみを通して人に語り掛け、人に神を敬うことと謙遜であることを学ばせます。そうやって人は練られて成長するのです。苦しみを共に負ってくださる主の慰めと励ましをいただきながら進みましょう。

主任牧師 荻野 泰弘

2025年2月23日  礼拝式次第


2月23日 プレイズサンデー
第1礼拝 9時 林伝道師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 高橋美姉

前  奏
招  詞 詩篇46篇10節
会衆賛美 聖歌48 日影は遠ざかりゆき
主の祈り 口語訳(週報4面参照)
交  読 詩篇13篇1~6節
礼拝祈祷 
使徒信条 口語訳(週報4面参照)
会衆賛美 御名を掲げて
会衆賛美 大いなる方に
聖書朗読 へブル人への手紙
4章14~16節
(新約聖書 441頁)
説  教 同情してくださる主
           荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌211 わが身を導く
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
報告 
感謝祈祷  奏楽