2025年5月25日 巻頭言

 5月も終わりになります。小学生や中高生は新年度・新学期も2か月が過ぎました。
 この時期は運動会を行う時期で、時折、近くの学校からそれらしい歓声や放送が聞こえてきます。
 新しい学校や新しいクラスで、4月には緊張でいっぱいだったでしょう。けれども、運動会で一致団結したり、共に時を過ごす中でお互いの関係は徐々に打ち解けるものです。新しい友だちもできたかもしれません。子どもたちが落ち着いた学校生活を送れるようにと願います。
 人間は一人では生きられません。大なり小なり、地域や職場、学校、家庭、そして教会などの共同体に身を置きます。しかし、その場所がバラバラで関係が分裂していたら落ち着くことはできません。本来、人間には平和な関係・安心できる場所が必要です。
 余談ですが、虐待を受けた子どもは落ち着いた空間が苦手なのだそうです。だから周囲から見れば問題と思える行動をして、その場を混乱させて、そうするとその人自身は落ち着くのだそうです。
 私たちが生きる世界は平和ばかりではありません。混乱があり分裂があります。様々な問題が起こり私たちの平和を乱します。
 しかし聖書は告げます。「キリストこそ私たちの平和です」と(14)。
 イエス様は私たちに「平和」を与えるためにこの世に来られました。14~17節に出てくる「平和」という言葉はヘブル語の「シャローム」に相当します。旧約聖書では多くの箇所で「平安」と訳され、それだけでなく「繁栄」「健康」「勝利」「満足」「悟る」などの意味もあり、聖書では「神の祝福のすべて」を現わす言葉として用いられます。
 このシャロームをイエス様ご自身が持っていたと聖書は告げます。
 ある日、イエス様と十二弟子が舟でガリラヤ湖を渡っていると嵐に遭遇し、舟はいまにも転覆しそうな危険にさらされました。その渦中で、イエス様は舟の端っこでスヤスヤと昼寝をしていたと聖書は伝えています。嵐でも失われない平安。それがキリストが与えてくれる平安です。
 どうしたら私たちはそれを得られるのでしょうか?それは、自分自身が神との平和の関係を持つことです。イエス様を主、救い主と信じることです。その人は神の家族に迎えられ(19)、神の守りの中に生きるのです ダビデという名前には「愛される者」という意味があります。名前の通りダビデは神に愛され、周りの人に愛されるような人物でした。その中でも今日の聖書箇所に登場するヨナタンは、ダビデを愛し深い友情を築いていった人物です。
 ヨナタンはサウル王の息子で、イスラエルの王子でした。一方でダビデは羊飼いの息子。身分としては二人が出会うという事は滅多にない事でしょう。しかし神様がヨナタンとダビデを導き、巡り合わせたからこそ、二人の友情が生まれ互いを愛し合う関係が育まれていったのです。私たちと出会う人々も神様が巡り合わせてくださった人々です。共に集う教会の仲間たち、職場や学校の友人。中にはこの人と仲が良くなれたのが不思議だ、と思うような友人がいるかもしれません。その一人ひとりとの関係の背後には神様の導きがあり、神様の結び合わせがあるのです。
 このように神様によって結び合わされたダビデとヨナタンの友情の中心には、神様がいました(サムエル記第二20章42節)。神様を中心とした友情が育まれる場所。それは教会です。何より教会の中心には私たちの友となってくださるイエス様がおられます。そのイエス様を中心として教会に集う私たちは立場や年齢などの様々な違いを超えて、互いを愛し合い支え合う友情を持つことが出来るのです。
 ダビデはここからサウル王にいのちを狙われ、困難な状況に向かっていきます。その困難な状況の中でも彼が耐え抜くことが出来たのは、神様に信頼していたとともにヨナタンのような友がいたからではないでしょうか。愛されている事を知っている人は困難を乗り越える力を得ることが出来ます。イエス様が私たちの友となって愛してくださっている事、そしてダビデとヨナタンが神様によって巡り合わされたように、私たちにも互いを愛し合う友がいるという事。その事を覚えながら、困難な状況にも立ち向かっていきましょう。そして私たちも誰かのヨナタンになることができたら幸いです。

主任牧師 荻野 泰弘

2025年5月25日 聖日礼拝式次第


5月25日 プレイズサンデー
小礼拝  9時 荻野牧師     
聖日礼拝 11時 武山 兄 髙橋美姉

前  奏
招  詞 ゼカリヤ書2章10節
会衆賛美 聖歌36 ながまことは大いなり
会衆賛美 大いなる方に
主の祈り 口語訳(週報4面)
交  読 詩篇30篇1~6節
礼拝祈祷 
使徒信条 口語訳(週報4面)
会衆賛美 御名を掲げて (週報4面)
会衆賛美 イエスの血潮で(週報4面)
聖書朗読 エペソ人への手紙 2章11~22節
説  教 キリストによる平和
               荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌492 主イエスのみそばに
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
 報告
 感謝祈祷  奏楽