2025年8月3日 巻頭言
すべての聖徒たちのうちで最も小さな私に、この恵みが与えられたのは、キリストの測り知れない富を福音として異邦人に宣べ伝えるためであり、また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現がどのようなものかを、すべての人に明らかにするためです。これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた、永遠のご計画によるものです。
エペソ人への手紙 3章8~11節
パウロは自らを「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私」(8)と自覚していました。パウロの手紙にはこれに似た表現が見られます。次の二つです。
Ⅰコリント15章9節「私は使徒の中では最も小さい者であり」。
Ⅰテモテ1章15節「私はその罪人のかしらです」。
これら3つの言葉を書簡が書かれた順に並べると、「使徒の中で最も小さい」(Ⅰコリント)→「すべての聖徒たちのうちで最も小さい」(エペソ)→「罪人のかしら」(Ⅰテモテ)となり、パウロが歳を重ねるごとに、自分が神の前にいかに小さい者であるかという自覚を深めた様子が分かります。
パウロは使徒たちや初代教会の聖徒たちのうちで、一番と言っていいほどに福音宣教に身を尽くし、教会の建て上げに尽力した人でした。そのパウロが、神の前に自分の小ささを知り続けたというのです。
3章に繰り返される「奥義おくぎ」(3,4,5)とは、キリストによる神の救いの計画のことです。神が長年にわたりその全貌を秘めた計画としたことから「奥義」と言われます。救われたパウロは、その後も奥義について理解を深めることで、キリストの救いがどんなに恵み深く、神の憐みが言い尽くせないものであるかを知り続けました。
パウロは、神の恵みの大きさを知ることで、自分が神の前に小さいということを自覚したのです。
そのような自覚が、彼の心を福音宣教と教会建設へと情熱を大きく燃やしました。小さく罪深い者を恵み深く扱ってくださったという感謝の故です。私たちは自分の小ささや弱さに気づく時に意気消沈しがちですが、そのような時にこそ、神の愛と恵みに感謝することを忘れないでいたいものです。そうすることで、小さく弱いからこそ神に仕える思いが奮い立たされるのです。主はそのような人々が集う教会を通してご自身の救いを世に現わします(10)。
罪の力は私たちの弱さを責めます。しかし、福音は弱く小さい私たちを勇気づけ、キリストのからだである教会の建て上げのために私たちを生かしてくださるのです。
主任牧師 荻野泰弘
2025年8月3日 聖日礼拝式次第
小礼拝 9時~ 荻野牧師
聖日礼拝 11時~ 荻野と兄 髙橋美姉
前 奏
招 詞 マタイの福音書 11章28節
会衆賛美 聖歌501 たたえよ救い主イエスを
会衆賛美 御名を掲げて(2回)
主の祈り
交 読 詩篇67篇1~7節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 エペソ人への手紙3章1~13節
説 教 教会を建て上げる人 荻野泰弘牧師
聖 餐 (小礼拝は礼拝後)
会衆賛美 聖歌586 いかに汚れたる
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝 祷
報告
特別講演会案内
感謝祈祷 奏楽