2021年1月10日 巻頭言

それからモーセは行って、次のことばをイスラエル全体に告げて、彼らに向かって言った。「私は今日、百二十歳だ。・・・」 

申命記 31章 1・2節

 皆さまは、自分の年齢を公表することに抵抗がありますか。聖書には年齢にこだわった人物がたくさん出てきます。
 申命記31章以降はモーセの告別説教だと言われていますが、地上での人生の終りを見据えてモーセが意識したのは「年齢」でした。2節ではモーセ自身のことばで「私は百二十歳だ」と公表しています。
 本日は、この年齢を意識すると、どういうことが起こってくるかを、モーセの生涯から教えられたいと願っています。まず、自分の誕生の時を思い起こします。120年前、エジプトで生まれ、殺されるところを親の機転で助けられたこと。具体的な使命を与えられるのは、まだ先のことですが、今の 120歳を意識した時、「自分は誕生の時から、神のご計画の中にいたのだ」と再認識したことでしょう。さらに年齢を意識すると、今まで生きてきた歴史を振り返ることになります。エジプトの王子として育てられたモーセですが、大きなジレンマと挫折を味わったのが40歳の時。ミディアンの地で 羊飼いの仕事をしながら「待つ」という忍耐の訓練を受け、神から使命を与えられ行動に移したのは、80歳の時でした。
 私たちの人生はいかがでしょうか。救われた時、何歳で何をしていたか、その後の歩みの中で課題を抱え、それを乗り越えたのが何歳の時だったかを思い起こすことは意義あることです。そして、モーセは今120歳という年齢を迎えて、自分の限界を知ることになります。しかし、この「限界」は  できない無念さと共に、「もう休んでいいのだ」という安堵を与えるものでもありました。年齢を意識すると「今しなければならないこと、しなくてもいいこと」が見えてくるのです。自分の人生の最期を、よりよいものにするために事前に行う準備、そう、これは「モーセの終活」でした。

協力牧師  石田いつ子

1月10日 礼拝順序

第一礼拝  9時 荻野牧師  奏楽:荻野(し)兄
第二礼拝 11時 荻野牧師   奏楽:美名子姉

 
前  奏
招  詞 イザヤ書43章19節
会衆賛美 聖歌504
会衆賛美 御前に集い(1節を2回)
主の祈り
交  読 詩篇84篇1~12節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 申命記31章1~8節
説  教 モーセの終活
          石田いつ子牧師
会衆賛美 聖歌336
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
感謝祈祷  奏楽