2026年3月15日 巻頭言
イエスの十字架の側には、イエスの母とその姉妹。そしてクロパの妻マリアとマグダラのマリアがたっていた。
ヨハネの福音書 19章25節
イエス・キリストのご受難と復活節を迎える「レント」の節期にありますので、 よく知られている「イエスの十字架の側に立つ」イエスの弟子ヨハネと四人の女性に目を向けたいと導かれました。
●イエスは、当時、もっとも極悪人が刑罰を受ける十字架の上にかけられました。
ユダヤの宗教家や、「十字架につけろ」と扇動された群衆、ローマ総督ピラトやローマ兵に囲まれる中で、キリストの十字架の側に立っていたのはわずかに五人でした。
●このおぞましい光景が訴えかけることは何か。
少ない日本のクリスチャン人口です。家庭でも、学校でも、職場でも、多くの場合、信友は一人か二人でしょう。そんな環境の中で、真摯に信仰を守り続ける方々の姿が重ねて見えてくるのです。
●この光景から、神が聖霊によって語りかけておられるメッセージは何か?
私たち信仰に生きようとする者は、彼らに倣い、信仰によって自らの意志でその全霊全身を神に明け渡し、どのようなところに置かれても、御霊の恵みと助けによって救い主キリストの十字架の側に立ち続けられる信仰に養われることが願いだと思われます。その証し人は沢山おられます。
●さて十字架の側に立つ者に見えるのは、
1、神の愛の実物です。そこに神の愛そのものが見えてくる。聖い光は、罪の陰を取り去り、光のみが支配する魂となり、「私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます」が頷けます(ロマ五・八)。
2、神のいのちです。十字架で流された血潮には深い意味があります。「血を流すことがなければ罪の赦しはありません」(ヘブル九・二二)。『「赦し」とは「赦免」とも訳せて、赦しときよめの両方を含む』と。御子の血潮は豊かないのちに生かします。
3、永遠のいのちです。御子を「信じる者は永遠のいのちを持ちます」(ヨハネ六・四七)。永遠的な見方をする人にします。
しかし、十字架の側に立ち続けるための前提条件は、神との関係が、御子の血潮と御霊のきよめによる混じりなき一体の結果です。
田中 英牧師
2026年3月15日 聖日礼拝 式次第
小礼拝 9時 荻野牧師
聖日礼拝 11時 武山兄 髙橋姉
前 奏
招 詞
会衆賛美 聖歌398 いくるかいもなしと
会衆賛美 御手の中で
主の祈り
交 読 詩篇71篇1~8、15~20節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 ヨハネの福音書19章23~30節
説 教 十字架の側に立って 田中 英 師
会衆賛美 聖歌396 十字架の陰に
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝 祷
報告
後奏 感謝祈祷