2021年4月25日  巻頭言

「その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。

マタイの福音書 1章23節

 新約聖書の冒頭でもあるマタイ1章の書き出しは系図です。それはイスラエル人の祖アブラハムの系図であり、イスラエル王国の偉大な王ダビデの系図でもあります。或いはその系図には有名無名の人々が名を連ね、彼ら一人ひとりの系図でもあります。しかし聖書はこれは「イエス・キリストの系図」(1)といいます。それは神の子イエス・キリストが人間の人生に入ってこられたということです。ヨハネはキリストが「私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1章14節)と語りますが、マタイもキリストが人々の中に来られたと系図から指し示しています。
 系図に名を連ねた人々は良い評判の人もいれば、イスラエル最悪の王と言われたマナセのように罪を重ねた人もいます。しかし程度の差こそあれ、誰もが神の前には罪人です。アブラハムもダビデも罪を犯した悩める罪人でした。その罪人と共に生きるためにイエス様はこの世に来られたのです。
 彼らの人生を聖書で追うと、繰り返し語られた言葉があることに気づきます。それは「恐れるな」(20)と「神は私たちとともにおられる」(23)です。アブラハムやイサクは「恐れるな」(創世記15章1節、26章24節)との声を聞き、ヤコブは「わたしはあなたとともにいる」(創世記28章15節)と聞きました。神は罪の世界で悩み苦しむ人々に、常に語っておられるのです。「恐れるな」「わたしはあなたとともにいる」と。
 イエス様が世に来られたのは、神が私たちの人生に関わっておられることを示すためです。そして、罪の世に悩む私たちに「恐れるな」「わたしはあなたとともにいる」と今も語っておられます。その証しとして、マタイの福音書は同じメッセージで締めくくられています。
 「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(28章20節)
 「神が私たちとともにいる」これがマタイの福音書のメッセージであり、このメッセージを確認する場所が教会であるのです。

主任牧師  荻野泰弘

4月25日 礼拝順序

第一礼拝  9時 司会:若月(伊)兄   奏楽:荻野(し)兄
第二礼拝 11時 司会:菊地 兄    奏楽:美名子 姉

前  奏
招  詞 イザヤ書45章22節
会衆賛美 聖歌495(1,2節)
会衆賛美 鹿のように(1回)
主の祈り
交  読 詩篇42篇1~5節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 1章1節~25節、17~25節
説  教 罪人の人生に来られた主
          荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌489(1,2節)
献  金 
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
感謝祈祷  奏楽