2022年1月9日 巻頭言
イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方はおひとりです。」
マタイの福音書 19章17節
一人の人がイエス様に質問しました。
「永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか」(16)
自分のいのちには限りがあることを受け止め、神との豊かな関係を求めた姿勢には、自分の人生をきちんと考える人物であることが伺えます。永遠のいのちは当時のユダヤ人にとって大切な関心事で、パリサイ人は良い行いによって得られると考えました。
イエス様の応答は「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方はおひとりです」(17)でした。「どんな良いことをすればよいか」という問いに対して、イエス様は「良い方」を指し示し「良い方、つまり神様に目を向けなさい」と言いました。イエス様は質問者の考えが的外れであることを指摘し彼を導こうとされたのです。
質問者の問題は、彼の自己理解と永遠のいのちについての理解にあったと言えます。
彼は、自分は十戒を落ち度なく守っているという自負がありました。しかし実際は自分の気に入ったことには熱心で、気に入らないと背を向けました。それは神の呼びかけに応答せずに、自分の好むことだけを行う自己中心の現れです。永遠のいのちが、神との隔てなき交わりに生きることであるのに、それを求めながら矛盾していることに気づかなかったのです(21,22)。
財産を捨てることが永遠のいのちを得る手段ではありません。そこに隠れている自己中心や世の富・名声を献げることが求められたのです。
対照的な人物として思い浮かぶのはザアカイでありアブラハムです。ザアカイは神の前に自らの罪を認め、贖罪の気持ちが財産を手放すことで現わされました。アブラハムはイサクを献げよとの神の呼びかけに応えました。これらは神との隔てなき交わりに生きる証でした。
イエス様は子どもたちを呼び寄せ祝福しました(14,15)。永遠のいのちとは神の賜物を受け取ることで得られます。人が対価を払って得るものではありません。祝福してくださる神の呼びかけに応答し、御心を行うことが永遠のいのちに生きるということです。自分の頑張りを主張するのではなく、神の祝福に生かされていることを喜び、それを生活に現わしたいものです。
主任牧師 荻野 泰弘
1月9日 聖日礼拝 順序
第1礼拝 9時 穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 美名子姉
前 奏
招 詞 ホセア書10章12節
会衆賛美 聖歌40(1,2節)
会衆賛美 鹿のように(1回)
主の祈り
交 読 詩篇127篇1~5節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 19章13~26節
説 教 良い方に目を留める
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌516(1,2節)
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報 告
成人の祝い(第2礼拝)
感謝祈祷 奏楽