2022年2月6日 巻頭言
それから王はしもべたちに言った。「披露宴の用意はできているが、招待した人たちはふさわしくなかった。だから大通りに行って、出会った人たちをみな披露宴に招きなさい。」しもべたちは通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った人をみな集めたので、披露宴は客でいっぱいになった。
マタイの福音書 22章8~10節
マタイ22章1~14節には、王が息子の結婚披露宴に人々を招待した、というたとえ話が書かれています。このたとえが問うていることは、〝あなたは神の招きになんと応えるか?〟ということです。
人間は、神との人格的な交流に生きるものとして造られました。神は人に呼びかけ、ご自身のもとへと招いておられます。アダム、アブラハム、モーセ、サムエルと…、神がまず人を呼び、そして人が応答するのを待つのです。それは特別な聖徒にだけ限ったことではありません。黙示録三20「わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」とある通り、神は「だれでも」=「すべての人」に呼びかけ招いているのです(マタイ二二9、10)。
その招きに応答する人が、神の国に入るのです。その人の功績や善行ではありません。「良い人でも悪い人でも」(10)導かれています。つまりそれは〝恵み〟です。人間の側に資格があるわけではありません。必要なのは〝神の恵みを受け取る〟ことです。
「婚礼の礼服」(11)はそれを表します。古代社会では、客をもてなすということで王が客のために着物を用意しました。神は私たちを神の国に招くために、キリストの十字架による衣を用意しました(「キリストを着る」ガラテヤ三27)。私たちはただキリストの十字架と復活の恵みによって救われます。その救いを得た人は、神の愛の招きに応えようとする誠意が求められます。 「婚礼の礼服を着ていない」(11)とは、キリストに頼るのでなく自分の力を頼みとすることです。また、神の栄光を求めず自分を誇ることです。それは神の招きを無視することです。
日々の生活でキリストに頼るとはどのようなことでしょうか?神の呼びかけに応え続ける私たちでありたいと願います。
主任牧師 荻野 泰弘
2月6日 聖日礼拝 順序
第1礼拝 9時 荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 美名子姉
前 奏
招 詞 詩篇46篇10節
会衆賛美 聖歌201(1,2節)
会衆賛美 神の国と神の義を(1回)
主の祈り
交 読 詩篇16篇1~8節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 22章1~14節
説 教 婚礼の礼服
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌577(1,2節)
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報 告
感謝祈祷 奏楽