2022年2月27日  巻頭言

ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。の女であった。」 

マタイの福音書 24章42節

 かつてこの世界に幼子として生まれ十字架で死んだのち、甦って天に昇られたイエス様は、再びこの世界に来られると予告しました。その時イエス様は、かつてとは異なり雲に乗って天に現れます(30)。これが「再臨」です。再臨の時にイエス様は真の王として世界を裁き、この世は終わります(3)。しかしイエス様を救い主と信じて救われている人は、イエス様のもとに集められて新しい世界で主と共に生きるのです。これが私たちクリスチャンの望みです。
 マタイ24章には世の終わりがどのように訪れるのか、前兆現象や再臨の時に起こる出来事について、イエス様が語られた言葉が記されており、終末を考える上で非常に重要な箇所です。
 その時には戦争や飢饉、地震が頻発し、人々の愛は冷えるといいます。人間はこうしたことを繰り返してきました。そういう意味では、再臨の日へ一歩一歩近づいているということです。ただ、近年はこれらの事象がより顕著である気もします。飢饉は気象変動であると解釈されますし、愛が冷えるとは現代の人と人との繋がりが破壊された状況に見えます。「目を覚まし」心を引き締めて、主の再臨に備える私たちでありたいと願います。
 一方で、こうしたことに過剰に反応することにも警戒が必要です。カルト宗教は世の終わりを強調して不安を煽り、そこにつけ込むのが常套手段です。再臨に対する偏った理解は信仰の逸脱を生みます。戦争や地震が起こると、再臨が「いつ」来るのかに興味を集中する人々がいます。しかし、イエス様はハッキリと「その日、その時がいつなのかは、だれも知りません」(36)と仰いました。踏み込みすぎないように気をつけなければなりません。
 大切なことは、その日を待ち望みながら今日という日を主に信頼して生きることです。なぜならば、私たちをひきあげるのは自分の頑張りではなく主であるからです。日々、主のことばを受け止め、その語りかけに応答するならば、いつその日が来ても、主が私たちを導いてくださいます。

主任牧師 荻野 泰弘

2月27日  聖日礼拝 順序

第1礼拝 9時  穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 美名子姉

前  奏
招  詞 詩篇46篇10節
会衆賛美 聖歌497(1,5節)
会衆賛美 イエスの血潮で(1回)
主の祈り
交  読 詩篇33篇16~22節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 24章36~44節
説  教 再臨の主を待ち望む
            荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌672(1,3節)
献  金 
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報  告
感謝祈祷  奏楽