2022年3月13日  巻頭言

そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここにいて、わたしと一緒に目を覚ましていなさい。

マタイの福音書 26章38節

 イエス様は十字架へ向かうときに祈りの時を持ちました。すべての罪人を救うために避けることは出来ない道です。それは大きな大きな試練でした。ある説教者は「これは祈りという以上に魂の苦闘であった」と表現します。
 そして次のように書き記します。
 「もし今退いたなら、神の計画は挫折する。このときイエスが知っておられたことは、ただ前進すること。十字架に進むことだけ。」
 「このときイエスが学んだ教訓は、自分に理解できないことを受け入れるということ。世の中には理解できないことが起こる。それは信仰の極限まで試されるときである。そのとき、イエスがゲッセマネで同じ試練にあったことを思い起こすことができるのは何という慰めか。」
 イエス様は私たちのために計り知れない試練をくぐられました。その時に、イエス様の力の源泉となったのは祈りでした。祈り抜いたとき、イエス様は立ち上がり、困難に立ち向かいました(46)。
 このとき、イエス様は一人で祈るのではなく、そこに弟子たちを招きました。逃げ出したくなるような試練に立ち向かうためには「一緒に」祈る人々の支えが必要であることを教えています。
 教会は祈りによって互いに支え合う場所です。特に祈祷会は、教会や個人が抱えている課題を共有して「一緒に」祈る場所です。だから祈祷会は教会にとって大切な集まりなのです。時には試練があまりに大きくて祈ることが出来ないこともあります。しかし、誰かが代わって祈ってくれることで支えられるのです。そのような経験をした人は、次に誰かが祈れなくなったときに代わって祈り、今度は支える側になるのです。これが霊的共同体の強さです。
 祈ることは決して容易ではありません。弟子たちは十字架のプレッシャーに圧倒されて眠るほどでした(ルカ22章45節)。目を覚まして祈り続ける祈り手になるには訓練が必要です。だからこそイエス様は彼らを忍耐深く祈り場に招きました。私たちも招かれているのです。

主任牧師 荻野 泰弘

3月13日  聖日礼拝式次第

第1礼拝 9時  穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 榊原姉

前  奏
招  詞 イザヤ書45章22節
 「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。」アーメン
会衆賛美 聖歌502(1,2節)
会衆賛美 大いなる方に(1回)
主の祈り
交  読 詩篇28篇1~9節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 26章36~46節
説  教 共に祈る
           荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌643(1,4節)
献  金 
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報  告
後  奏 感謝祈祷