2022年6月19日  巻頭言

父の日礼拝

アバ、父よ、あなたはなんでもおできになります。どうか、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」

マルコの福音書 14章36節

 私たちが信じる神様は三位一体の神で、その第一位格にあるのが父なる神様です。
 多くの人は父なる神様をイメージする時に自分の父親や父親的存在の人を重ねるものです。しかし、それはその人のイメージであって、父なる神様について知るためには聖書に学ぶことが必要です。それで今日は父なる神様について聖書が教えていることを心に留めましょう。
 旧約聖書の時代、創造者なる神様を父と呼ぶことはありませんでした。イスラエルにとって神は聖なる存在であり、神を父と呼び、自らを神の子とすることはとても考えられなかったのです。
 神様を父と呼んだ最初はイエス様です。イエス様はまさに神の御子ですからそれは当然のことです。ただイエス様はそれをご自分だけのものとはしませんでした。イエス様を神の子救い主と信じる人も神の子とされることを示し、その道を開いてくださいました。だから私たちキリスト者は、イエス様と同じように「父なる神様」と親しく呼びかけることができるのです。
 逆を言えば、父なる神様は私たちを受け入れてくださっているということです。
 旧約の時代、預言者イザヤは神様の姿に触れた時にあまりの神々しさに自分は死んでしまうと恐れおののきました。それほどまでに神様は聖い御方です。その御方が、罪に汚れた私たちを子としてくださり、「アバ、父よ」と呼ぶことを受け入れてくださっているのです。これがキリスト者と父なる神様の今の関係です。
 それだけでなく、神の前に自分の心を打ち明けることが赦されています。どんなことでも話せるのです。
 ただ、最後には父なる神様の御心を受け入れることが肝要であることをイエス様は示されました。地上の父親は間違えることがあります。けれども、父なる神様に間違いはありません。その御心を受け入れ、聖なる神に仕える道にこそ、私たちの真の幸いと安息、価値ある人生があることをイエス様は示しておられます。

主任牧師 荻野 泰弘

2022年6月19日  父の日礼拝式次第

第1礼拝 9時  穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 髙橋美姉

前  奏
招  詞 イザヤ書49章13節
会衆賛美 聖歌36
会衆賛美 主はぶどうの木(2回)
主の祈り
交  読 詩篇91篇1~9節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マルコの福音書 14章32~36節
説  教 アバ、父と呼べる幸い
            荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌635
献  金 
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報 告
感謝祈祷  奏楽