2022年7月10日  巻頭言

主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見、追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを確かに知っている」。 

出エジプト記 3章7節

 神様はエジプトで奴隷として酷使されていたイスラエルの痛みを「知っている」と仰いました。この「知る」という言葉は、深い人格的な交わりをもって相手を知るという意味です。神様は私たちが罪の世界で味わう苦しみや叫び、痛みを知っていてくださるのです。
 それはイエス様の受肉によって、より明確になりました。私たちは神様を目で見ることはできません。しかし、神様は確かに私たちを見て、私たちの叫びを聞いて、その痛みを知ってくださっているのです。イエス様がこの地上で貧しい人や悩む人、病む人と共に生きたことがそれを証明しています。
 神様はそんな人間を救ってくださいます。イスラエルには「広く良い地」(8)が備えられました。私たちも罪を赦され、神と共に生きる人生へと招かれています。不安定な罪の世界にあっても、神の助けが注がれる人生です。やがての日には天の故郷へと導かれる永遠のいのちです。
 この神の救いを人々に知らせるために、神様は神と人に仕える人を求めています。
 それは痛みを知る人です。自分の限界を知り、人間の正義やこの世の力では本当の救いは達成できないことを知った人です。そうでなければ神の救いを人々に知らせることはできません。モーセはエジプトで大きな挫折を経験し、まさに痛みを知る人でした(2章)。
 しかし、痛みを知るだけでは神に用いられるわけではありません。聖なる神と出会い自分を明け渡すことが大切です(1~6)。神の救いがまず自分に及んでいることを知り、罪人を愛してくださる神様を知る時に、人は神の救いの伝達者となるのです。
 忍耐深いことも重要な要素です。性急に結果を求めるのではなく、神の計画に身を当てはめることが求められるからです。
 聖なる神と出会い、自らの履き物を脱ぎ、神の前にひれ伏し、その救いの中に憩う時、その人の痛みは他者の痛みを共有する窓口となり、痛む人に寄り添う者とされます。

主任牧師 荻野 泰弘

2022年7月10日  聖日礼拝 式次第

第1礼拝 9時  穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 榊原 姉

前  奏
招  詞 ヨハネ6章35節

会衆賛美 聖歌64
会衆賛美 イエスの血潮で
主の祈り
交  読 詩篇23篇1~6節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 出エジプト記 3章1~12節
説 教 痛みを知る神、痛みを知る人
           荻野泰弘 牧師
会衆賛美 聖歌614
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
後  奏 感謝祈祷