2022年11月6日  巻頭言

「彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。」 

出エジプト記 25章8、9節

 出エジプト記を見ると、前半はイスラエル人がエジプトの奴隷生活から救い出される様子が記され、後半の19章から40章には「律法が授けられること」と「幕屋の建設」が記されます。律法は、神の民の生きる指針であり、幕屋は主を礼拝する場所です。
 このような出エジプト記全体の構造から、神がイスラエルを神の民として整えるために、「罪から救い出し」「神を礼拝する場を整えた」ことは明らかです。神の民とは、神を礼拝する者であるということです。
 神を礼拝する場として与えられたのが幕屋です。幕屋は建造物ですが、それは実はキリスト御自身を表しています。幕屋はやがて来る救い主を預言的に表したものでした。 
 幕屋には臨在のパンを置く机や燭台、祭壇が置かれました。それぞれがキリストの象徴です。机のパンは「いのちのパン」を、燭台・ともしびは「世の光」を、祭壇といけにえは「あがないの小羊」を指します。いずれもキリストを表します。
 なにより幕屋自体がキリストの象徴です。ヨハネ一14「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」の「住まわれた」は原語では「幕屋を張った」との意味です。かつて幕屋に御自身を現した主は、キリストの受肉によってすべての人の前に明らかとなりました。今は聖霊によって信じる者すべての内に宿り、共に生き、共に歩んでくださいます。幕屋が荒野を旅するイスラエルの民の中心に置かれたのは、主が礼拝者たちの間に住まわれることを証ししています。
 だからこそ、今も聖日礼拝は大切です。 主は、幕屋で神の民と会い、そして語ると仰いました(29章42節)。神は信仰者一人ひとりのうちに聖霊によって宿られますが、だからと言って信仰は個人主義的であってはいけません。主は神の民の共同体に御自身を現されることを幕屋から教えられます。私たちが教会に集い、礼拝を重んじ、共に神を仰ぎ、みことばを分かち合うことを主は望んでおられます。礼拝がマンネリに思われることがあるかもしれません。この箇所もくどくどと細かいことが書かれて、一見つまらなく思います。でも、実はキリストの福音を現す恵み深い箇所です。私たちは自分の好みで礼拝してはいけません。ご自身を静かに現す主を仰ぎ続けましょう。

主任牧師 荻野 泰弘

2022年11月6日  聖日礼拝 式次第

第1礼拝 9時  穂谷牧師  髙橋(美)姉
第2礼拝 11時  荻野牧師  榊原 姉

招  詞 イザヤ書60章2節
会衆賛美 聖歌500(1、2節)
会衆賛美 大いなる方に(1回)
主の祈り
交  読 詩篇84篇1~7節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 出エジプト記 25章1~9節
説  教 幕屋の建設①
           荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌35(1、2節)
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報  告
後  奏 感謝祈祷