2023年1月15日 巻頭言
今、もしあなたが彼らの罪を赦してくださるなら――。しかし、もし、かなわないなら、どうかあなたがお書きになった書物から私の名を消し去ってください。
出エジプト記 32章32節
主は、金の子牛の偶像を造って背を向けたイスラエルを大いに怒りました。それはイスラエルを滅ぼすと言うほどでした。しかし、モーセが身を挺して執り成したことで、イスラエルが全滅することは免れました(三二章)。
この出来事から、危機に瀕した人々が立ち直り回復するためには、モーセのように執り成す人が必要だと教えられます。
私たちは誰かの救いや回復のために祈ります。執り成し手の姿勢をモーセの姿から 学びましょう。
モーセの姿から学ぶのは「献身」です。 それは、自分の功績を求めない、と言い換えることができるでしょう。
モーセは罪を犯したイスラエルと自分を同じ位置に置きました。人々の罪の赦しがかなわないなら自分だけ特別扱いせず同じようにしてほしいと願いました(三二32)。
口で言うことはたやすいことです。しかし、モーセの言葉がポーズでないことは彼の行動が証明しています。彼は山の上で主から受け取った石板2枚を、山から下ったときにたたき割りました(三二19)。この行為は、自らも民の罪と連帯するとの意味が込められていると言われます。
聖書を紐解くと、執り成しのために、罪を犯した人々と同じ位置に自分を置いて祈る聖徒たちの姿に目が留まります。
ダニエル書9章のダニエル、ネヘミヤ記1章のネヘミヤは、イスラエルの執り成しを祈るときに「私たちは罪を犯した」と告げています。彼ら自身が罰を受けたイスラエルの人々と同じように主に罪を犯したわけではありません。しかし彼らは、自らを枠外に置かずに、同胞の罪を担いました。
真の執り成し手とは、他者のために泥を被り、自分の評価を求めない心を持つ人だと教えられます。これが仕える姿勢です。
その究極がイエス様であり、イエス様がまず私たちに仕えてくださいました。私たちが真の執り成し手となるためには、自分がイエス様によって執り成しを受けたことをまず知ることが大切です。
主任牧師 荻野泰弘
2023年1月15日 聖日礼拝 式次第
第1礼拝 9時 穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 髙橋姉
招 詞 イザヤ書60章2節
会衆賛美 聖歌40
会衆賛美 鹿のように(2回)
主の祈り
交 読 詩篇104篇24~32節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 出エジプト記
32章30~35節
33章12~17節
説 教 モーセの執り成しと回復
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌552
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報 告
後奏 感謝祈祷