2023年4月9日 巻頭言
イースター聖日礼拝
イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。」彼女は、彼が園の管理人だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」
イエスは彼女に言われた。「マリア。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、すなわち「先生」とイエスに言った。
ヨハネの福音書 20章15,16節
愛する者の死は、残された者にとっては身も心も引き裂かれるような痛みです。その悲しみのなかで、亡骸はたとえ息をせずしゃべることがなくても愛する者を感じる大切な形見です。できることならいつまでも手元に置いておきたいと願うのが人情ではないでしょうか。マグダラのマリアにとってイエス様の亡骸を世話することは、死してなお大切な方を思い、深い嘆きの暗闇に落ち込むことから自らの心を守るために必要なことだったでしょう。
ところが、マリアが墓を訪ねた朝、イエス様の亡骸は忽然と消えていました。それまで、どうにか保っていた気持ちがぷっつりと切れて彼女は悲しみの沼にはまり、大声をあげて泣き叫びました。
マリアの姿は復活を知らない人、あるいは神を見失った人の現実を示しています。死の前に絶望を味わい、自らの無力を思い知るのです。
けれども、イエス様はよみがえりました。ここに人間の希望があります。
復活の主はマリアに問いました。「なぜ泣いているのですか」と。主は私たちに問うのです。「あなたはどうして泣いているのか。どんな悩みがあるのか。あなたは何を困っているのか。私に聞かせてごらん」と。
私たちは無力を感じることがあります。自分の力ではどうすることもできない問題の前にうなだれます。けれども、主イエスの十字架と復活を信じ、この御方を自らの主、救い主と受け入れる人は、復活の力をその生活、生涯において体験します。私たちはそのような恵みの人生を生かされています。
そのことに気づくためには、イエス様の声を聴くことです。マリアはイエス様の声を聴いたときに、復活の主と会いました。私たちもみことばを聴き続けましょう。
主任牧師 荻野泰弘
2023年4月9日 イースター聖日礼拝 式次第
第1礼拝 9時 荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時
招 詞 マタイ28章5b,6b節
会衆賛美 聖歌123
主の祈り
交 読 詩篇30篇1~6節
礼拝祈祷
使徒信条
会衆賛美 大いなる方に(2回)
特別賛美 墓の中にいと低く(第2礼拝)
聖書朗読 ヨハネの福音書 20章1~18節
説 教 イエス様の復活
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌125
献 金
頌 栄 聖歌377 すべての恵みの
祝 祷
報告
後奏 感謝祈祷