2023年6月11日 巻頭言
「そして、毎日、心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」
使徒の働き 2章46,47節
ペンテコステの日に救われた兄弟姉妹は「心を一つにして宮に集まり」、主にある交わりを共にし、救い主なる主を賛美し礼拝して過ごしました。私たちもこのような教会でありたいと願う姿です。
しかし、「心を一つにする」ということをどのように捉えるかは大切なことで、自分のイメージだけで理解しようとするなら、それは地上に生きる教会の姿を損ねることになりかねません。
「心を一つにする」という表現は「使徒の働き」において10回ほど繰り返し用いられていることばです。その一つひとつを見ると、半分は教会の一致を表現していますが、残る半分は教会を迫害する人々の一致団結した様子を表現しています。誤った方向に心を合わせることもありえるのです。
日本社会は一致することが尊ばれます。「和をもって尊しとなす」ということばがあるように、仲良くすることが喜ばれます。それは素晴らしいことです。けれども、それ故に、集団の中で異なる意見を言う人が敬遠されたり、自分の考えを押し殺して集団に従うことが求められるという一面もあります。これはカルト性にも繋がります。教会は気を付けないと健全な批判が封じられ、イエスマンや良い子であることが求められ、それは結果として共同体の命を失わせます。ですから、教会は〝心を一つにする〟ことを情緒的に捉えてはいけません。
聖書が示す〝心を一つに〟とは、言うまでもなくキリストの救い・十字架の救いによる一致で、信仰告白における一致です。
逆を言えば、教会をどのように建て上げるかとか、宣教方策についてなどは意見の違いがあっても構わないのです。それは使徒たちの時代にも見られたことであり、そこに聖霊が働かれました。大切なのは多様な意見をどうまとめるかです。
人は、自らが罪人であることを神の前に認めるとき、霊的に謙遜になります。46節の「真心」とは、ギリシャ語では「寛容さ」という意味も持ちます。自分が赦されているという信仰経験と自覚を深めるとき、他者を赦す心が育まれ支え合う共同体の形成へと向かいます。教会の一致は、キリストの救いに生きることで得られるのです。
主任牧師 荻野 泰弘
2023年6月11日 聖日礼拝 式次第
第1礼拝 9時 荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 吉田潔兄 髙橋美姉
招 詞 ゼカリヤ書2章10節
会衆賛美 聖歌33
会衆賛美 鹿のように(2回)週報4面
主の祈り
交 読 詩篇133篇1~3節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 使徒の働き2章37~47節
説 教 一つになる
荻野泰弘 牧師
会衆賛美 聖歌160
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
文書伝道デー 証し
報告
後奏 感謝祈祷