2023年6月25日  巻頭言

「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。これからは、決して罪を犯してはなりません。」

ヨハネの福音書 8章11節

 人は誰でも、大なり小なり、他の人には知られたくない過去や思いを抱えているものです。ヨハネの福音書8章に出てくる女性は、まさに人には隠しておきたい出来事が明るみに出て窮地に立たされました。
 彼女は姦淫の現場を押さえられました。当時のユダヤでは石打ちの刑に処せられる案件です。律法学者とパリサイ人は彼女をイエス様のもとに連れてきてどのように処分すべきかを問いました。公衆の面前に晒された女性はどんなに恥ずかしく孤独だったでしょう。もちろん、彼女自身の生き方に問題がありました。この場面で彼女が言い訳するでなく沈黙するのは、罪を認めて観念したからでしょう。
 一方、彼女を捕らえたパリサイ人と律法学者は、イエス様に敵対心を燃やし、イエス様を陥れようと画策していました。石で打てと言えば罪人に寄り添うイエス様の言動との矛盾を指摘し、赦せと言えば律法に背いたと責めることができる。どちらでもイエス様を陥れるつもりでした。
 そんな彼らにも罪人の姿を見ます。誰かを貶めることで自分を高めようとする姿です。罪を見逃さない正義と言えば聞こえはいいですが、彼らは人を踏み台にして自分を高めようとしました。神の律法さえも自分たちの保身のために悪用したのです。
 女性も、律法学者とパリサイ人も、まさに罪の世界にさまよう罪人です。
 そんな状況にイエス様は答えました。罪のない人が石を投げなさい、と(7節)。
 結果として誰も石を投げず、取り巻く人々はみな逃げ去りました。なぜ逃げたのでしょう?それまで隠していた自分の罪が神の光に照らされて明らかにされたとき、耐え切れなかったのです。
 唯一イエス様のさばきを待った女性は、イエス様から「わたしもあなたにさばきを下さない」(11)と告げられ赦されました。
 イエス様はこの言葉を取り巻く人々にも告げたかったでしょう。彼らの悪だくみを見抜いていたイエス様は、しかし彼らをそこで糾弾するのではなく、自らの罪に気づき、女性のように主の前にひざまずくことを待ったのです。イエス様は赦しを与えてくださる御方です。私たちは神の赦しを受け取ればいいのです。

 主任牧師 荻野 泰弘

2023年6月25日 聖日礼拝 式次第(プレイズサンデー)

※第1礼拝と第2礼拝で賛美順序が異なります

第1礼拝 9時  荻野と兄 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 髙橋美姉

招  詞 ゼカリヤ書2章10節
会衆賛美 聖歌36
 【第1礼拝】会衆賛美 大いなる方に
主の祈り
交  読 詩篇130篇1~8節
礼拝祈祷
使徒信条
【第2礼拝】会衆賛美 注がれた愛
【第2礼拝】会衆賛美 大いなる方に
 聖書朗読 ヨハネの福音書 8章1~12節
説  教 隠しごと
           荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌651
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
  後奏 感謝祈祷