2023年10月1日 巻頭言
もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。
ピレモンへの手紙 17,18節
オネシモは、主人ピレモンの財産を盗んで逃げだしたところ、逃亡先のローマでパウロに出会い回心へと導かれました。パウロはオネシモを主人のもとに送り返すため、執り成しのためにこの手紙を書きました。
注目したいのは執り成し手となったパウロです。パウロはオネシモを悔い改めに導き、自分のそば近くに置いて指導しました(10)。その結果、オネシモは自らの罪を悔い改め、パウロをして「役に立つ者」(11)と言わしめるほどに成長しました。さらにパウロは、ピレモンとオネシモが和解し、オネシモが教会に受け入れられるよう計らい、そのためにオネシモの負債を負いました。
聖書は、この手紙を受け取ったピレモンとオネシモがその後どうなったかを記しません。それは書くまでもないということでしょう。オネシモはのちにエペソ教会の監督を務めたと伝えられます。福音宣教に奔走した彼は、その両足を砕かれて殉教するまで主と教会に仕えたそうです。もし彼がパウロと出会っていなかったら、その生涯は全く違っていたかもしれません。
福音は人を変えます。しかし、その福音を言葉と行い、その人生をもって証しする人が必要です。
先の日本伝道会議で、何人かのスピーカーが次世代に福音が届いていない理由として挙げたのは、〝若者たちが手本とする大人がいない〟ということです。耳が痛い、非常に厳しい言葉です。けれども、私たちは遜って自らを省みなければなりません。大事なことは方法やハウツーではありません。福音に生きる〝人〟なのです。
もう一つ言われたのは、〝教会で大人が癒やされなければ、青年は教会に来ない。 大人が癒やされる姿を見ることで青年たちはそこに希望を見出す〟ということです。
福音に生きるとは、問われるのは、頑張りや立派な姿ではありません。自らが、赦しと癒やしを必要とした罪人であることを認め、キリストに頼って生きることです。パウロは自らを「罪人のかしら」(Ⅰテモテ一15)と呼びました。パウロは自らの罪深さを知ると共に、赦しの恵みも知りました。その姿がオネシモに語りかけたのです。
主任牧師 荻野 泰弘
2023年10月1日 聖日礼拝式次第
第1礼拝 9時 荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 戸梶 姉 髙橋美姉
前 奏
招 詞 詩篇32篇8節
会衆賛美 35
会衆賛美 大いなる方に
主の祈り
交 読 詩篇51篇10~17節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 ピレモンへの手紙 8~20節
説 教 和解の福音に生きる
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌614
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽
日本伝道会議参加報告