2023年10月8日 巻頭言
「主のおしえを喜びとし、昼も夜も、その教えを口ずさむ人。
その人は、流れのほとりに植えられた木…。」
詩 篇 1篇2~3節
詩篇一篇は、詩篇全体の序論と言われており、詩篇全体が集約されたもの、また第一篇の展開が詩篇全体と理解できます。
六節にあるように、全体的には「正しい者」と「悪しき者」との対比と捉えています。
「幸いなことよ」はヘブル語で「真っ直ぐに歩く」という語から出たことばと紹介しました。真の幸いは、神との純粋な潔い関係を意味します。『その生活、思想、神との交友に純粋に生きている人』です。
「主のおしえを喜びとし、昼も夜も、そのおしえを口ずさむ」。キリストの贖いを経験した人は、その喜びをもって、なお一層「主のおしえ」を通して神との交わりを愛し慕い求める人となり、聖霊による聖言の人格化を求めて生きる人です。
今朝は第三節の前半「その人は流れのほとりに植えられた木」のたとえです。
第一に、「植えられた木」です。「植える」は『別の場所からの移植』される意味で、旧約聖書には多く記されています。
参照=出エジプト記一五・一七、エゼキエル書一七・二二等みな「植える」です。新約聖書では、ヨハネ五・二四「死からいのちに移っている」移植に相当します。
Ⅱコリント五・一七「キリストのうちにある」とロマ六・五「キリストと一つになって」は、同じ「結合」を意味します。特に後者は、接ぎ木によって台木と枝とがいのちのつながりを持つようになることを示し、キリストとキリスト者は贖いを通して密接な一体性をもち、いのちが流れ込み、私たちは生きる者とされるのです。移植された「幸いな人」が、「主のおしえを、昼も夜も口ずさむ」 霊想という秘められた営みがもたらす祝福は計り知れません。
第二は、「流れのほとりに」。水の流れの比喩は、霊を持つ人間として生きるためにも不可欠な「いのちの根源」であると考えられていたと言います。神こそ、私たちのいのちの根源です(詩三六九)。その神が「潤いのない地に水を注ぎ、乾いた所に豊かな流れを注ぎ、私の霊を…末裔に注ぐ」(イザヤ書四四・三)約束は、ヨハネ四章、七章、使徒二章の生ける水・キリストの御霊の注ぎとなり、私達を生きる者とするのです。
田中 英 師
2023年10月8日 聖日礼拝式次第
第1礼拝 9時 荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 吉田潔兄 榊原姉
前 奏
招 詞 詩篇32篇8節
会衆賛美 250
会衆賛美 主はぶどうの木
主の祈り
交 読 詩篇63篇1~8節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 詩篇1篇1~6節
説 教 流れのほとりに植えられた木
田中 英 師
会衆賛美 聖歌628
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽