2024年1月28日  巻頭言

この奥義とは、あなた方の中におられるキリスト、栄光の望みのことです。

コロサイ人への手紙 1章27節

 この手紙は、パウロが信仰のゆえにローマで獄中生活を余儀なくされていた時に書き送られた手紙です。一章の初めの部分を読むと、純粋な信仰に育ちつつある教会に、『外部から非聖書的な教えが押し迫り、それを防ぐため』に書き送られたものです。パウロが伝えたかった中心メッセージは冒頭のみことばです。
 ジョナサン・エドワードの『イエス・キリストの卓越性』という説教の中に、「栄光の望み」であるイエス・キリストの内では、限りない正義と限りない恩寵が結合している。キリストは神なる人であるから、聖にして義、正しくさばくお方です。けれども彼は無限にあわれみ深い方です。彼はあらゆる罪人に対してさえ、充分な十字架の苦痛による恩寵を備えておられます。
 私はこれを今年のシオンの聖句・哀歌三章二二、二三節と合わせて見たのです。エルサレムの滅亡を目の当たりにしたエレミヤの嘆きと絶望です。二二節はその失望から希望に変わって行きます。以前から私の問いは、彼はどうして「待ち 望む」に至ったかです。失望の只中にあって、これは困難な霊的所作です。しかし、 ある注解者によると、二〇節は「私のたましい」ではなく、ヘブル原文は「あなた(神)のたましい」であり、「沈む」は『かがむ』で『私の上に覆いかぶさってくださる』の意味である。神に敵意を持ち、主に希望を抱くのをやめて倒れ伏している人間の体を覆ってくださっている神に思いが至り、この神の恩寵に満ちた謙卑を経験して、絶望から希望へと生きる人間に変わりました。
 外的状況は変わらない中で、「主を待ち望む」ことにおいて平安にされていることを強く覚えて生きる新しい人間とされることを、「喜んで生きる者となった」と記しています。私の中におられるキリストのうちにある神の『限りない正義と限りない恩寵の結合』に、また、キリストのご人格のうちにあるこの結合に現わされた十字架の贖いに感動します。大切なことは、私たちの中におられるキリストは現在的なお方となっているかにあります。クロスビーの讃美歌を歌いますが、一節一節が、深い頷きとして捉えられますように。

 田中 英 師 

2024年1月28日 聖日礼拝式次第

第1礼拝 9時 戸梶姉  荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野と兄 髙橋美姉

前  奏
招  詞 ハバクク書2章20節
会衆賛美 聖歌201
会衆賛美 威光・尊厳・栄誉
主の祈り
交  読 詩篇113篇1~9節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 コロサイ人への手紙 1章 24~29節
説 教 栄光に富んだ奥義
                田中英牧師
会衆賛美 ああうれしき我が身も
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
  感謝祈祷  奏楽