2024年2月4日 巻頭言
私は 山に向かって 目を上げる。私の助けは どこから来るのか。
私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。
詩 篇 121篇 1,2節
詩篇121篇は旧約の時代にエルサレムでの礼拝を目指した巡礼者たちの歌です。
過越の祭りなどの例祭のときに詠まれたとも、あるいは、バビロン捕囚からの帰還の際に詠まれたとも言われます。
いずれにしても、旅人が旅路の行先に不安を抱きながら歌ったと察せられます。
私たちの人生はしばしば旅になぞらえられます。現代の日本で私たちが経験する旅はほとんどが安全です。まれに、交通機関の遅れや思いがけない出来事で予定が狂うことはあるでしょう。しかし、たいていはどうにかなるものです。
しかし人生の旅は〝一寸先は闇〟です。時に私たちは、思いも寄らない不幸な出来事に見舞われて途方に暮れます。或いは、思い通りにならない現実にモヤモヤした気持ちを抱えて日々を送ることがあります。
「私の助けは どこから来るのか」(1)
詩篇作者のこの問いかけは、私たちの思いが重なるのではないでしょうか。
しかし、彼はそこで自ら答えます。
「私の助けは主から来る。天地を造られたお方から」(2)
彼は、先行きが見えず、保証のない旅路に、神の守りがあると確信します。
なぜ彼は、不安の中で望みを抱くことができたのでしょうか?
それは、「山」(1)に目を向けたからです。「山」とは、ここでは「シオンの山」を指します。それは神を礼拝する神殿がある山でエルサレムです。作者が礼拝に心を向けたとき、神の臨在と守りが己の人生のすべてに及んでいることを確認しました。私たちが礼拝に臨むとはそういうことです。礼拝は神と私の関係を再認識させ、自らが罪赦され、神の命に生かされ、神の恵みに守られていることを想起する場です。
その確信に立った作者は、力強く神の守りを述べています。3節から8節には「守る」という言葉が繰り返され、神の守りが信仰者の生涯に、あらゆる角度から及んでいることが述べられています。
現代を生きる私たちもまた、この力強い神の守りの中にあることを信仰によって受け止めて進みましょう。
主任牧師 荻野 泰弘
2024年2月4日 聖日礼拝式次第
第1礼拝 9時 荻野牧師 山本実姉
第2礼拝 11時 吉田潔兄 髙橋美姉
前 奏
招 詞 詩篇100篇1~3節
会衆賛美 聖歌151
会衆賛美 神の国と神の義を
(歌詞は4面)
主の祈り
交 読 詩篇 46篇1~11節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 詩篇121篇1~8節
説 教 神の守りの内を歩む
荻野泰弘牧師
聖 餐(第2礼拝)
会衆賛美 聖歌518
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽
※第1礼拝は礼拝後に聖餐式