2024年3月3日  巻頭言

それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上っていかれた。

マタイの福音書 4章1節

 イエス様は荒野で40日を過ごしました。
 荒野は身を宿す建物もなければ、食料を手に入れることもできません。水場さえもわずかです。身一つで過ごし、人間という存在の弱さや小ささを思い知る世界です。
 イエス様は「御霊に導かれて」荒野で過ごしました。厳しい環境の荒野で過ごすことは神の御心であったということです。
 その荒野でイエス様は「断食」をしました。これは〝祈りに集中した〟という意味です。父なる神様と一対一で向き合うことに時を費やしたということです。何もない世界でただひたすらに父なる神と向き合ったのです。
 今、私たちはレント(受難節)を過ごしています。ある教派の人々はこの季節に断食をします。古来よりレントはそのように過ごされてきました。それは、断食によってイエス様の十字架の御苦しみに思いを馳せ、それと共に〝祈りに集中する〟という意図があり、そこには〝神と出会う〟ということが意図されているのです。
 私たちは人生の旅路で荒野のような状況を通ることがあります。試練や困難、厳しい状況をくぐり抜ける時、人の助けを求めても手を借りることができず、心が衰え果てることがあります。そして、神は私を助けてくれないのか…と寂しくなります。
 しかし、そうではありません。その時こそ神と出会う時です。
 イエス様は厳しい荒野の環境で、父なる神様との十二分な語らいの時を過ごしました。みことばの深い思い巡らしがあったことでしょう。
 けれども、そのような神との交わりを妨げる力が襲いかかるのも荒野の現実です。悪魔がイエス様を誘惑し、父なる神様から引き離そうとしました。悪魔は私たちに対しても同じように働きかけます。特に私たちが荒野のような状況を通るときに、悪魔の誘惑を受け信仰は試みられます。
 イエス様はみことばによって悪魔の誘惑を退けました。みことばは悪魔と戦う武器であり、私たちを励ます力です。イエス様が悪魔を退けた背後には、それまでの荒野での神との語らいがあったわけです。私たちも日頃から、みことばによる神との交わりを深めましょう。

主任牧師 荻野 泰弘

2024年3月3日 聖日礼拝式次第

第1礼拝 9時  荻野牧師  荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師  髙橋美姉

前  奏
招  詞 詩篇46篇10節
会衆賛美 聖歌110
会衆賛美 鹿のように(2回)
主の祈り
交  読 詩篇3篇1~8節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 4章1~11節
説  教 荒野で神と会う
               荻野泰弘牧師
聖  餐 (第2礼拝)
会衆賛美 聖歌505
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
  感謝祈祷  奏楽

※第1礼拝は、礼拝後に聖餐式