2024年5月5日 巻頭言
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。私たちにキリストの苦難があふれているように、キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。
コリント人への手紙第二 1章4,5節
私たちの人生には苦しみが伴います。そのようなときに人は、「なぜこんなことが起こるのか?」「どうして私がこんな目に遭うのか?」と葛藤し、悩み、嘆くものです。どんなに嘆いても変わらない現実は、日々の生活に重くのしかかります。
「過去と他人は変わらない。変えられるのは未来と自分自身だ」という言葉があります。私たちはどんなに頑張っても、起こってしまった出来事それ自体を変えることはできません。けれども、その出来事をどう受け止めるかによって、それを自分の人生の糧とすることはできるというのです。出来事は変えられないけれど、意味づけや受け止め方は変えられます。それによって自分のこれからの生き方を前向きに変えることができます。
パウロは、私たちは苦しみを経験するけれども、そこで神の慰めを経験できると言います。苦しみ自体は喜ばしくはありません。しかし、人は苦しみを通して「神の慰め」を知ることができるのです。そういう点で、キリスト者は苦しみにも積極的な意味を見出すことができます。
「慰め」という言葉はギリシャ語で「パラクレーシス」です。この言葉と通じるのが「パラクレートス」で「助け主」という意味です。これは「聖霊」について示しており、神ご自身が気落ちして倒れそうになっている者の側にいて下から支えてくださることを意味します。だからキリスト者は苦しみを経験しても神の支えに励まされて望みを抱いて進むことができます。
そしてそのような人は、苦しみを経験する人を慰める存在にもなるとパウロは言います。人生のマイナスと思える過去の出来事が、苦しむ誰かに神の慰めを伝える未来へと変えられるのです。
キリスト者である私たちは恵み深い生涯に生かされています。
主任牧師 荻野泰弘
2024年5月5日 聖日礼拝式次第
第1礼拝 9時 荻野牧師 (録音)
第2礼拝 11時 荻野牧師 髙橋美姉
前 奏
招 詞 イザヤ書43章1節
会衆賛美 聖歌36
会衆賛美 鹿のように
主の祈り
交 読 詩篇121篇1~8節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 コリント人への手紙第二 1章3~11節
説 教 苦難と慰め
荻野泰弘牧師
聖 餐 (第2礼拝)
会衆賛美 聖歌653
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽
※第1礼拝は、礼拝後に聖餐式