2024年7月7日  巻頭言

主のことばが私にあった。「エレミヤ、あなたは何を見ているのか。」私は言った。
「アーモンドの枝を見ています。」

エレミヤ書 1章11節

 エレミヤ書1章には、預言者エレミヤが見た2つの幻について書かれています。一つは「アーモンドの枝」(11,12)で、もう一つは「煮え立った釜」(13~16)でした。
 「煮え立った釜」は神の民ユダ王国への神の厳しい裁きの預言です。「アーモンド」は神の深い憐れみによる回復の預言です。
エレミヤが神から示されたのは、罪に対する〝裁きと回復〟でした。
 この出来事は、単に事象を見るということに留まらず、その背後にある神の思いに触れるということでもありました。
 神はこの世にはびこる悪を放置することを良しとせず罪を裁きます。そこには神の痛みと怒りがあります。一方で、罪人が回復することも強く望んでおられます。そこには心を痛めるほどの神の深い愛があります。

 エレミヤは、煮え立った釜が北から自分のいる場所に向かっていることを直視しました(13)。それは、神の都エルサレムがユダの民の罪の故に北のバビロン帝国によって滅ぼされるという預言でした(14~16)。エレミヤにとっては祖国が滅びるという、できるならば見たくない光景です。しかしエレミヤは、神が見せた幻を直視しました。それは、その背後に横たわる腐敗した社会を直視するということでもありました。
 また、彼は、アーモンドの枝を見ました。アーモンドはイスラエルでは春の先駆けとして咲く植物だそうです。そのことから、回復の象徴でした。エレミヤはこれらの背後に、神が断腸の思いをもってユダの人々を裁きつつ、しかし彼らを回復するご計画を持っておられることを見ました。
 このエレミヤに対して神は、12節「あなたの見たとおりだ」(新改訳第3版では「よく見たものだ」)と言いました。エレミヤが神と同じ視点をもって、時代・社会を見て、神の御心を捉えたことを喜んだのです。
 神は罪の世をご覧になって御心を痛めておられます。それ故に、神と同じ視点で時代・社会を見て、そこに神の心を告げる人を求めておられます。
 私たちは現代日本社会にあって、世と神について、何を見ているでしょう。

主任牧師 荻野 泰弘

2024年7月7日  聖日礼拝式次第

第1礼拝 9時 荻野牧師  (録音)
第2礼拝 11時 武山 兄  髙橋美姉

前  奏
招  詞 イザヤ書60章2節
会衆賛美 聖歌651 罪咎をにのう
会衆賛美 神の国と神の義を(2回)
主の祈り 
交  読 詩篇126篇1~6節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 エレミヤ書1章11~19節
説  教 あなたは何を見ているのか
           荻野泰弘牧師
聖  餐(第2礼拝)
会衆賛美 聖歌518 みことばなる
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
報告
  感謝祈祷  奏楽
※第1礼拝は、礼拝後に聖餐式