2024年8月11日  巻頭言

「しかし、その日にもー主のことばーわたしはあなたを滅ぼし尽くすことはない。」

エレミヤ書 5章18節

「彼らは肥えてつややかになり、悪事において限りがない。孤児のために正しいさばきをして 幸いを見させることをせず 貧しい人々の権利を擁護しない。これらに対して、わたしが罰しないだろうか。」

エレミヤ書5章28,29a節

 エレミヤ書の前半には、主に背を向けた南ユダ王国(イスラエルの民)に対する厳しい叱責の言葉が並びます。
それは逆に見れば、主が彼らに対して本当は何を望んでおられるのかを知る手掛かりになります。
 エレミヤ書の前半に記されるイスラエルの民に対する主の叱責の言葉を見ると、主は彼らが憐れみの心を持っていなかったことを嘆き、叱っていると分かります。冒頭に記した五28,29のほかにも、七6、二一12、二二3などにもみられます。
 イエス様も仰いました。
 「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」(マタイ九13 新改訳第3版)
 主が信仰者に望んでいることの一つは、キリスト者が憐れみの心を持つことです。互いにいたわり、助けを必要としている人を支えること、それは聖書全体を貫く主のみこころです。
 なぜ、主は私たちに憐れみの心を持つことを望まれるのでしょうか?
 それは、主ご自身が憐れみに満ちた御方であり、それ故に私たち罪人を救おうと心を砕いておられるからです。
 エレミヤ五18には罪人に対する、尽きない主の憐れみが示されます。主に背を向け偶像に仕えたイスラエルの民を、主は滅ぼし尽くさないと仰いました。
私たちも、主の大いなる憐れみを受け、その極みであるイエス様の十字架によって救われました。今、主が私たちに期待していることは、他者を顧みていたわる心を持ち、それを現すことです。主の憐れみを示す教会でありたいと願います。

主任牧師 荻野 泰弘

2024年8月11日  聖日礼拝式次第

第1礼拝 9時 荻野牧師  荻野し兄
第2礼拝 11時 吉田潔兄  榊原 姉

前  奏
招  詞 マタイの福音書11章28節
会衆賛美 聖歌394 ひとりの御子を
会衆賛美 鹿のように
主の祈り 
交  読 詩篇103篇6~14節
礼拝祈祷 
使徒信条 
聖書朗読 エレミヤ書5章18~31節
説  教 憐れみの心を望む主
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌631 罪に満てる世界
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
報告
  感謝祈祷  奏楽