2024年10月20日  巻頭言

「一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。」

ヨハネの福音書 12章3節

 ベタニア村のマリアが、イエス様の足に高価なナルドの香油を塗った出来事は、聖書の中でもとても麗しい出来事としてクリスチャンの心に刻まれます。
 この香油は、恐らくマリアの嫁入り道具として大切にされたものです。「三百デナリ」(5)と言われるその価値は、当時の労働者の給与およそ1年分に相当します。そんな大事なものをマリアはイエス様に献げました。しかも彼女は、それをイエス様の足に塗り、自分の髪の毛でぬぐいました。彼女は、イエス様の足もとにひざまずいたのです。身を低くしたその姿は仕える者の心の表れです。
 「家は香油の香りでいっぱいになった」(3)との表現は、単に香油の香りが部屋に充満しただけでなく、マリアの行動が人々の心を打ち、感動を与えたということです。
 イエス様も、マリアの行動を喜びます(7)。これは「過越の祭りの六日前」(1)のことでした。この過越の祭りでイエス様は私たちの救いのために十字架に架かりました。マリアの行動は、十字架の死への備えだとイエス様は仰いました(7)。罪人に仕えて十字架に架かったイエス様は、マリアの仕える心を喜ばれたのです。
 仕える心はクリスチャンにとって大切な心構えです。それは強制されるものではありません。イヤイヤすることでもありません。マリアが自発的に行動したのが尊いのです。
 マリアはどうしてそのように仕えたのでしょうか?
 一つには、兄弟ラザロが生き返らされたこと(1)の感謝です。死から命に移され、絶体絶命の危機から救われたことは、マリアに主への深い感謝の思いを起こしました。仕えるとは、感謝の思いから生まれます。
 もう一つは、主のことばを聴き、その意味するところを悟ることです。ルカ10章39節には、マリアがイエス様の足もとに座り、みことばに聴き入ったことが書かれています。遜った姿勢でみことばを聴き、深く思い巡らすとき、みことばの意味を悟ります。マリアはイエス様の十字架の死の予告を受け止め、その十字架の一端を担ったのです。
 私たちもマリアのような仕える心を育み、主の喜びにあずかりましょう。

 主任牧師 荻野 泰弘

2024年10月20日  聖日礼拝式次第

プレイズサンデー
第1礼拝 9時  林伝道師  荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師  髙橋美姉

前  奏
招  詞 ヨハネの黙示録19章5節
会衆賛美 聖歌501
たたえよ救い主イエスを
主の祈り 口語訳(週報4面)
交  読 詩篇100篇1~5節
礼拝祈祷 
使徒信条 口語訳(週報4面)
会衆賛美 いのちの水
会衆賛美 神の国と神の義を
聖書朗読 ヨハネの福音書 12章1~8節
説  教 仕える人
            荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌614
主の愛のながうちに
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
報告 
  感謝祈祷  奏楽