2025年2月9日 巻頭言
主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
サムエル記第一 16章7節
今日から何回かに分けて、今年度の年間聖句にも関連しているダビデの物語から神様の語りかけを共に聴きたいと願っています。今日のテーマは「神様の選び」です。
神様は初めにサウルを、イスラエルが神様の御心にかなった国となるように導く王として選びました。しかしサウルは神様から離れ、やがてその働きから退くことになります。彼は自分が小さく足りない存在であるという認識を持っていました(9:21)。王としての責任を果たさなければならない、しかし自分に目を向けるとその働きを負えるほどの力はない。その葛藤の中で苦しみ、いつの間にか自分だけに目が向き、神様に信頼することから離れ、神様のことばを退けるようになっていったと思われます。私たちも同じように葛藤することがあるのではないでしょうか?自分の弱さ、足りなさ、神様に対する背きを見るときに、本当に自分は救われているのか。自分は神様の働きをする者としてふさわしいのか葛藤し苦しみます。しかしここで覚えたいことは、神様の選びは私たちの基準ではなく神様の基準であり、それは一方的な恵みであるという事です。
ダビデは周りの人から見たら特別な存在ではありませんでした。8人兄弟の末っ子として親からは軽く扱われ、小さく足りない者と見られる存在でした。しかし神様はそのダビデを選んだのです。どんなに自分が小さく見えたとしても神様は私たち人の基準で評価をしません。どんな私たちであっても神様は私たちを愛し、選び、用いようとされているのです。私たちに対する神様のこの選びは私たちに根拠はなく、神様が御心として選んでくださったという一方的な恵みです。
ダビデはこの神様の恵みを受け取り、神様に信頼を置いて生きる「心」を持っていました。自分を正しく認識したうえで、神様に目を向け続ける「心」です。神様の恵みにより頼む謙遜な「心」とも言えるでしょう。この心を持っていたからこそ神様の働きに用いられていきました。私たちもダビデと同じような「心」をもち、神様に信頼を置きながら歩んでいく者となっていきましょう。
伝道師 林眞光
2025年2月9日 礼拝式次第
第1礼拝 9時 林伝道師 (録音)
第2礼拝 11時 中西け兄 榊原 姉
前 奏
招 詞 詩篇46篇10節
会衆賛美 聖歌504
きたれ友よともにイエスの
会衆賛美 イエスの血潮で
主の祈り
交 読 詩篇36篇 1~12節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 サムエル記第一 16章 1~13節
説 教 ダビデ物語①~神様の選び~
林眞光伝道師
会衆賛美 聖歌626 主と共に歩む
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
終 祷
報告
感謝祈祷 奏楽