2025年10月12日 巻頭言
地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て洞穴の入り口に立った。すると声がして、こう言った。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
列王記第一19章12,13節
旧約聖書に出てくる預言者エリヤ。彼はイエス様の時代には伝説的な英雄でした。
イエス様が多くの奇蹟を行い人々の注目と称賛を集めると、人々はイエス様を〝エリヤの再来〟と呼びました(マルコ八28)。
人々だけではありません。主ご自身がエリヤを信仰者の代表として扱っています。イエス様が、山の上で神の栄光を現わした〝変貌山〟の出来事のとき、イエス様の両側に現れたのはモーセとエリヤでした(九5)。モーセは律法を示し、エリヤは預言者の代表。律法と預言者とは旧約聖書のことで、彼らはその代表と言われます。
これらのことから、エリヤが神に愛され、人に尊敬された信仰者だと分かります。
そんな偉大な人物でも、疲れ果て、くじけて、自らの死を望むほどに心が折れてしまったことが列王記第一19章に記されています。
人は肉体を持つ限り限界があります。また、私たちが生きる世界は罪の力に覆われていて、不条理と思える出来事が私たちに襲い掛かります。どんなに優れた能力を持っていても、一人では立ち向かえない課題を抱えることがあり、無力を痛感するときがあります。
そんなときに私たちに必要なことは、主の御前に静まるということです。どんな人でも、体と心を休めることが必要です。それは、肉体と心の休息を取り、自分自身を見つめながら、主の御声に聴くということです。
主は疲れ果てたエリヤに眠りと食べ物を与えました。肉体の休息です。その上で、エリヤに語り掛けました。「かすかな細い御声」で語り掛けたのです。静まらなければ聞こえない声です。静かなやり取りの中でエリヤは回復し、主から授かった新しい使命に励まされて、再び立ち上がりました。
聖書が一貫して教えていることは、人は体と心の両面において、静まるときが必要だということです。イエス様は、しばしば一人で山に退いて祈りの時間を持ちました。
そもそも、この世界が創造されたとき、主ご自身が安息日を定めて休まれました。休むこと、静まることで新しく創造的な日々を送ることができると聖書は告げています。
牧師 荻野泰弘
2025年10月12日 聖日礼拝式次第
小礼拝 9時 荻野牧師
聖日礼拝 11時 中西と兄 榊原姉
前 奏
招 詞 ハバクク書2章20節
会衆賛美 聖歌394 ひとりの御子を
会衆賛美 鹿のように
主の祈り
交 読 詩篇46篇1~11節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 列王記第一19章1~13節
説 教 主の静かな御声を聴く 荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌488 神のたもう安けさは
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽