2021年5月30日 巻頭言
イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」
マタイの福音書 3章16,17節
イエス様は公に福音宣教の働きを開始するにあたって、バプテスマのヨハネからバプテスマ(洗礼)を授かりました。
ヨハネが人々に洗礼を授けていたのは、悔い改めのしるしとしてでした(6,11)。聖霊によって生まれた罪のないイエス様が洗礼を受けることは必要のないことです。ヨハネもそのことが分かったからこそ最初は拒みました(14)。しかしイエス様は、ご自身が洗礼を授かることが神の前に正しいと告げて(15)それをおこないました。
イエス様が洗礼を受けた理由の一つは、イエス様があらゆる点において人間と等しくなるためでした。それはイエス様の謙遜で、神であり王である御方が罪人を救うために罪人の姿をとられたのです。
イエス様が洗礼を受けたとき、聖霊が降り、父なる神様の語りかけがありました。
「わたしはこれを喜ぶ」とはイザヤの預言(イザヤ42章1節)に示されているもので、それは苦難のしもべの姿です。
またイエス様はその御生涯において聖霊の導きのもとに身を置かれました。聖霊は仕えることを教えてくれます(エペソ5章18~21節)。イエス様の洗礼は、イエス様がしもべとして仕える王であったことを示しています。
私たちが洗礼を受けるとき、牧師が頭に手を置きます。これは按手で信徒職への召命という理解があります。洗礼を受けるとは、キリストのからだである教会を建て上げる働きに召されたことを意味します。
神の御心は、イエス様がしもべとして仕えたように、私たちも神に仕え、教会に仕え、互いに仕え合うことです。仕える力を与えてくださるのは聖霊です。聖霊の助けを得て、仕えることを教えていただき、そのことによって神の栄光を現す私たちでありたいと願います。
主任牧師 荻野泰弘
5月30日 礼拝順序
第一礼拝 9時 司会: 奏楽:荻野(し)兄
前 奏
招 詞 ハバクク書2章20節
会衆賛美 聖歌64
会衆賛美 大いなる方に
主の祈り
交 読 詩篇51篇10~13節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 3章13~17節
説 教 イエス様の受洗
荻野泰弘 牧師
会衆賛美 聖歌611(1~3節)
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽