2021年8月15日 巻頭言
すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
マタイの福音書 11章28~30節
罪人を深く愛したイエス様は神の国の福音を知らせ人々を救いに招くために弟子達を町々に遣わし、ご自身もまた伝道へと進みました(1)。しかし、イエス様の思いとは裏腹に、世は神の招きを拒絶します。
イエス様の前に現れたのはバプテスマのヨハネの弟子です。ヨハネはイエス様の称賛を受けるほど神の国の福音に仕えた人物でした(11)。そのヨハネが牢に繋がれているのです。世がいかに神に敵対しているかを象徴する出来事で、どれほどイエス様の心の痛みだったでしょう。16節以降には福音に心を開かない世の人々に対するイエス様の嘆きと憤りが述べられています。
その上でイエス様は「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい」(28)と告げます。
これは第一には弟子達に向けられた言葉です。福音に敵対する世をキリスト者として歩み福音を証することがどれだけたいへんかをイエス様は身をもって経験しました。それゆえに、主はご自分の弟子達に安息を与えようと招いておられるのです。
「重荷」とは律法主義のことです(23章4節)。人々は律法主義者やパリサイ人から律法を守り行わないと救われないと教えられていました。神に頼らずに自分の頑張りだけで救いを得ようということです。それは世の価値観であり、まさに重荷を負うことで安らぎのない道です。
主はそれとは反対です。「わたし(イエス様)のくびきを負う」とは、自分で頑張ることを手放してイエス様の前に頭を垂れ、イエス様と歩調を合わせるということです。それはイエス様も私たちに歩調を合わせてくださるということでもあります。そのような生き方に、イエス様による安らぎが与えられると聖書は約束します。それが主と共に歩むことです。
主任牧師 荻野 泰弘
8月15日 礼拝順序
第1礼拝 9時 司会:穂谷 牧師 奏楽:荻野し 兄
第2礼拝 11時 司会:荻野 牧師 奏楽:美名子 姉
前 奏
招 詞 マタイの福音書11章28節
会衆賛美 聖歌134(1,2節)
会衆賛美 鹿のように(1回)
主の祈り
交 読 詩篇16篇1~8節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 11章16~30節
説 教 疲れた人を招く主
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌520(1,3節)
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽