2025年4月6日  巻頭言

 いよいよ十字架を目前にしたイエス様は、エルサレム郊外にあるオリーブ山へ行きゲッセマネの園で祈りました。ルカ22章には、その前後の出来事が記されています。そこを読むと、イエス様が孤立し孤独に戦っておられた様子が見て取れます。
 弟子の一人イスカリオテのユダはイエス様を裏切る手配を進め(1~6)、しかしイエス様の前では最後まで好意を示しました(21、47)。弟子の筆頭であるペテロは、死ぬまでついていくと豪語しながらイエス様が捕まると逃げ出しました(33、54~62)。他の弟子たちも、イエス様の緊迫した心情をよそに誰が一番偉いか論争し(24)、祈り場では眠ってしまいました(45)。
 イエス様は人間の罪や痛み、悲しみを背負い、救いの道を開くために十字架に架かりました。それは決してうれしい道ではなく、イエス様をして大きな困難を感じるつらく厳しい道でした(42)。イエス様は孤立した状況でどんなに孤独だったでしょう。痛みと苦しみを抱えてイエス様は祈ったのです。
 そんなイエス様を御使いが力づけ(43)、そしてイエス様は立ち上がったのです(45)。これが祈りの力です。
 状況は何ら変わっていません。むしろ事態はどんどん厳しくなります。その先には十字架と死があります。けれども3日目に復活され救いの御業が完成しました。
 キリスト者の祈りとはなんでしょう。
私たちはいろいろな願い事を祈ります。それは間違ってはいません。私たちはなんでも祈れます。しかし多くの場合、神が私たちにしてくださることは、状況を変えるよりも、私たち自身を力づけ、支え、変えることです。イエス様ご自身がまず示されました。
 またイエス様はペテロのために祈りました(32)。
その祈りは聞かれ、裏切ったペテロはやがて福音のために重荷を担い、人々を励まし生かす存在へと変えられました。

主任牧師 荻野 泰弘

2025年4月6日  礼拝式次第


小礼拝  9時 荻野牧師     
聖日礼拝 11時 荻野と兄 高橋美姉

前  奏
招  詞 ゼカリヤ書2章13節
会衆賛美 聖歌504 
来たれ友よ共にイエスの
会衆賛美 御手の中で
主の祈り 
交  読 詩篇84篇1~12節
礼拝祈祷 
使徒信条 
聖書朗読 ルカの福音書22章31~48節
説  教 ゲッセマネの祈り
荻野泰弘牧師
聖  餐 (小礼拝は礼拝後)
会衆賛美 聖歌502 迷える時光を
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
 小1紹介、CS教師任命式、会長紹介
 報告
 感謝祈祷  奏楽