2021年9月26日 巻頭言
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。
コリント人への手紙第二 1章4節
妻 久仁子の召天から2年が経ちます。この間、多くの方にご心配いただき、苦しみと悲しみを共にしていただきました。どれほど慰められ支えていただいているかを思うとただただ感謝です。
教会では次週10月3日に講演会「グリーフケア」を行います。悲しみを経験するとき、私たちはグリーフ(深い悲しみ・悲嘆)に対して適切なケアを受けることで前に進むことができます。本日と次回の礼拝説教ではそれにちなんで慰めや喪失について聖書から考えたいと思っています。
私たちの人生には多くの悲しみや苦しみがあります。時には押し潰されてしまいそうに思えるほど大きな課題を抱えることもあります。ある人は、信仰があれば悪いことは起こらないのではないかと疑問に思ったり、自分が不信仰だから苦しむのだと自分を責めることがありますが、それは御利益的な考えで聖書が示すものと異なります。
イエス様が私たちのために十字架という苦難を負われたように、キリスト者の生涯には苦難が伴います。それは神の栄光を現すためのものもあれば、私たちを罪からきよめるためのものなど意味は様々です。
ただ共通して言えることは、神は私たちが苦しみに遭うときに慰めてくださるということです。
「慰め」(パラクレーシス)は、聖霊を表す「助け主」(パラクレートス)と同じ言葉に由来し「助けるために側へ呼び寄せること」を意味します。気落ちし、倒れそうになっている者を下から支えるのが「助け主」であり「慰めの神」(3)なのです。その慰めは、相手の苦痛をやわらげるという一般的な意味よりも力強い意味があります。神の慰めは苦難に耐え抜く力と勇気を私たちに与えてくれるのです。
神の慰めを経験する人は、苦しみの中にある他の人を慰めることができるようになると聖書は語っています(4)。今の時代は多くの人が傷ついています。私たちが神の慰めを経験し、この時代に神の慰めを示す者とされることを願います。
主任牧師 荻野 泰弘
9月26日 聖日礼拝 順序
第1礼拝 9時 穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 美名子姉
前 奏
招 詞 イザヤ書43章1節
会衆賛美 聖歌502(1,2節)
会衆賛美 イエスの血潮で(1回)
主の祈り
交 読 詩篇40篇1~8節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 コリント人への手紙第二 1章3~7節
説 教 慰めの力
荻野泰弘 牧師
会衆賛美 聖歌654(1,2節)
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報 告
感謝祈祷 奏楽