2022年4月3日 巻頭言
さて、十二時から午後三時まで闇が全地をおおった。
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
マタイの福音書 27章45、46節
4つの福音書にイエス様が十字架で発した7つの言葉が記されます。マタイはそのうちのひとつを記しておりそれが冒頭の言葉です。
昔、私が神学生だったとき、先輩がイエス様の十字架について語った説教が印象深く心に残っています。ゲッセマネの祈りでイエス様は願わくば十字架を避けたいと祈りました。それは十字架の肉体的な痛みや苦しみが怖かったからではなく、神との交わりが絶たれることを恐れたのだ、というのです。イエス様は私たちの罪を背負い罪人として死にました。それは神との断絶であり、それが罪人の末路で絶望以外のなにものでもない。それこそが人間にとって最も恐ろしいことで、46節の言葉はその現れでもあるというのです。しかし私たちはイエス様の十字架によって、そのような絶望から救われており、感謝しかありません。
むしろ私たちはこの叫びに込められたイエス様の信仰を自分のものとさせていただきましょう。ある説教者は著書で言います。
「十字架にかけられ、もっとも大いなる試練の闇の中に見捨てられても、主イエスは『わが神、わが神』と祈られました。これは試練に打ち勝つ叫びです。」
神に見捨てられた、と思うときにも神に信頼したのがイエス様であり、それは私たちを信仰の道へと招く言葉でもあります。
このとき闇が全地をおおいました(45)。ある註解書には、「闇」とは神の御業が現されるための準備であり前段階である、と解説されています。人の目には、光が失われた絶望的な状況と思えるとき、実はそれは神の救いが現される予兆だというのです。そこでなお「わが神、わが神」と叫ぶ人に神の救いが見いだされることを信じましょう。
イエス様の十字架を目撃したローマ軍の百人隊長は信仰告白をしています(54)。また、イエス様の十字架を担いだクレネ人シモン(32)はのちに信仰を持ち、子どもたちは初代教会の柱となったと伝えられています。試練においても信仰に立ち続けるとき、主の栄光は周囲に現れるのです。
主任牧師 荻野 泰弘
2022年4月3日 聖日礼拝式次第
第1礼拝 9時 穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 美名子姉
前 奏
招 詞 詩篇32篇8節
会衆賛美 聖歌459(1,2節)
会衆賛美 イエスの血潮で(1回)
主の祈り
交 読 詩篇22篇1~11節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 27章27~50節
説 教 それでも神に叫ぶ
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌520(1,3節)
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報 告
感謝祈祷 奏楽
祈祷