2022年4月17日  巻頭言

イースター

御使いは女たちに言った。「あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。」

マタイの福音書 28章 5,6節

 「どうして教会は十字架を掲げるのか?」
我が家の中学生の次男が友人から受けた質問です。その友人は、人を殺す道具を教会はシンボルとして掲げていることが不思議だったようです。的を射た質問であるなぁと思います。
 イエス様が十字架で死んで終わったならば、教会が十字架を掲げるのは悲劇的です。それは悲しみの象徴でしかありません。そこにあるのは滅びの美学でしょうか。
 しかし、キリスト教会が十字架を掲げるのは、そこに希望のメッセージがあるからです。

「主イエスはよみがえられた」
 なんと希望に満ちたメッセージでしょう。イエス様は、人間の罪を解決し、死を打ち破って復活しました。十字架の死という悲しみが大いなる喜びに変えられたのです。だから教会は十字架を掲げるのです。
 福音書はイエス様の生涯について書いていますが大部分は受難週に割いています(マタイは全28章の4分の1)。十字架の出来事も26~27章の2章にわたり多くの節が割かれています。十字架という暗い出来事が延々と書き記され、けれども、そののちに復活が記されます。どんなに暗く闇のような状況も、神様に信頼するときに、その闇は人間の計画や力では計りきれない神の業によって明けるということです。
 「十字架なしに栄光なし」という言葉があります。裏を返せば、「栄光のない十字架はない」のです。私たちは試みや苦しみを通されます。しかし、神に信頼して助けを求めるならば、神は私たちに道を開いてくださいます。復活の主に信頼しましょう。

主任牧師 荻野 泰弘

2022年4月17日  聖日礼拝式次第

第1礼拝 9時  穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 髙橋美姉

前  奏
招  詞 詩篇32篇8節
会衆賛美 聖歌746(1~3節)
会衆賛美 大いなる方に(1回)
主の祈り
交  読 詩篇24篇1~10節
礼拝祈祷
使徒信条
特別賛美 いざひとよ
聖書朗読 マタイの福音書 28章1~15節
説  教 イエス様の復活
            荻野泰弘牧師
洗 礼 式 (第2礼拝)
会衆賛美 聖歌127(1~3節)
献  金 
頌  栄 聖歌377 すべての恵みの
祝  祷
入会式
報  告
感謝祈祷  奏楽