2023年2月19日  巻頭言

「わたしはあなたがたを孤児にはしておかずに、あなたがたのところに、また帰って来る。もうしばらくすれば、世はもはやわたしを見ることができなくなるが、あなたがたはわたしに会える。わたしが生きるので、あなたがたも生きて来るからである。」

ヨハネ福音書14章18、19節 :ジョン・ウェスレー聖書注解訳による

 今朝の説教の中心となる聖句は右記です。「イエスは生きておられる」。私たちが御霊にあって霊的に生きて来るとき、主にお会いし、お交わりができるようになるのは、「わたしが生きるので、あなたがたも生きて来る」からと言われています。この一事こそ『キリストのしもべとして真に価値ある生活(生き方)ができる』。これが、私たちが真に生きる道、生涯突きとめるべき真理であり、マスター(熟知)すべき大切な最優先事項だということです。 「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です」とはパウロの告白です。福音に生きる私たちは、イエスが遣わされた『聖霊は人の心の中に入り、その人の霊を生き生きとさせてくださる』。これこそが、主が備えられた信仰経験の霊的実質・実体、リアリティなのです。ヨハネ二一章の復活のイエスとペテロや弟子たちの交流の姿に、今も変わらず主は私たちを顧みて、霊的回復、更新への働きかけていることを見たいのです。
 第一に、岸辺に立たれたイエスです。目的は、ご自身が生きていることを知らせることです。
1、弟子たちの苦悩する姿。
 この時のペテロたちの苦悩はいかばかりか。十字架の出来事の前後の自分たちの言動がいかにイエスを悲しませたか。絶望と悲嘆の中で、漁にさえも空しさが襲うばかりでした。夜の闇は彼らの心そのものであり、それは様々な人間模様を投げかける人生の縮図を見せつけられます。様々な苦しみ、悲しみや空虚さなどを如何にかして埋めようとする葛藤が人生です。
2、そんな心を埋めて満たすものは何か。
 人を創造者の神に似せて造られた神は、「人を、神よりもいくらか劣る(わずかに欠ける)ものとして造られた」とあります。『人は創造者である神による以外には、決して満たされない空洞を持つ者として造られた』。深慮すべきパスカルの言葉です。
 第二に、湖畔に坐すイエスです。目的は弟子たちの心の癒しと交わりの回復です。
 イエスは「私が生きるので、あなたがたも生きて来る」と言われた。「悲しみの人で病を知り」人間の心理を熟知されている主は、まず食事を備えます。その間に発せられた言葉は二度です。あとは沈黙です。怒りも責めもなく 、弱さ、失敗、過ちに心を痛め苦しむ彼らへの配慮が心の癒しに向かいました。私たちも主に触れる時、生きておられる主の愛に心が開かれて行きます。

 田中 英 師

2023年2月19日  聖日礼拝 式次第

第1礼拝 9時  荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 髙橋姉

招  詞 詩篇46篇10節
会衆賛美 聖歌220(1,2,4)
会衆賛美 鹿のように
主の祈り
交  読 詩篇139篇1~12節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 ヨハネの福音書 14章16~19節、 21章1~14節
説  教 湖畔での親交
           田中 英 師
会衆賛美 聖歌654
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報  告
後  奏 感謝祈祷