2023年3月5日  巻頭言

 イエスは答えられた。「ああ、不信仰な曲がった時代だ。いつまで、わたしはあなたがたと一緒にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子をここに連れて来なさい。」 

ルカの福音書 9章41節

 マタイ、マルコ、ルカの3つの福音書(共観福音書)は一様に、山でイエス様の栄光が光り輝いた様子、いわゆる「変貌山」の出来事を記します。3つの福音書が記すのはそれだけではありません。変貌山の直前には受難の予告があり(ルカでは九22)、変貌山からイエス様は明確に十字架へと向かっていきます(51)。しかも、ルカの福音書は変貌山においてイエス様とそこに現れたモーセとエリヤとが、イエス様の「最期」(31)、つまり十字架について語り合っていたと記します。
 私たちのために十字架を担い、罪を背負われたイエス様は栄光に包まれた神の子であり、その栄光の主イエス様が、受難の道を進み、私たちのために傷つき、ご自身を死に渡されました。イエス様にとって栄光と十字架は切り離せない関係です。受難節にあたって、栄光に満ちた神の子でありながら罪人の苦しみを負ったイエス様の姿を思い起こしたいと思います。
 山の上(28~36)と山の下(37~45)は非常に対照的で、まさに天の御国と罪人の世を描いています。「山から下りる」(37)とは地上に降誕されたイエス様の姿です。天の栄光を離れて、人々が罪に苦しむ混沌とした世にイエス様は下ってこられました。
 山の下にあったのは、悪霊に苦しむ子どもであり、子どもを助けられない親・大人であり、無力な弟子たちであり、真の神への信頼が失われた曲がった時代でした。神の子イエス様が深いため息をついて不満をこぼさざるを得ない残念な状況です。
 それでも、イエス様は苦しむ子どもを招き寄せて癒してくださいました。ここに神の忍耐深い愛を見ます。人間の不信仰に、もういい加減にしてくれ、と叫んで放り出してもおかしくないと思われるところで、なおもイエス様は人間の救いのために尽くしてくださいます。その極みが十字架でした。私たちは、十字架に示された神の忍耐深い愛によって救われて命を得たのです。

 主任牧師 荻野 泰弘

2023年3月5日  聖日礼拝 式次第

第1礼拝 9時  穂谷牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 美名子姉

招  詞 エレミヤ書33章1,2節
会衆賛美 聖歌443
会衆賛美 大いなる方に(2回)
主の祈り
交  読 詩篇140篇1~8節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 ルカの福音書 9章28~45節
説  教 栄光と混沌
           荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌386
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報  告
後  奏 感謝祈祷