2024年3月10日 巻頭言
弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。
コリントへの手紙 第一 9章22節
多くの人は「成長して強くなりたい」、「強くあり続けたい」と願うでしょう。それに対して、弱くなりたいと願う人は少ないだろうと思います。むしろ、弱くなることは自分の価値が損なわれるように感じる人が多いでしょう。けれども、今日の聖句はそんな私たちの思いに一石を投じます。
コリント人への手紙の執筆者のパウロは「弱い者になりました」(22)と言っています。この言葉からは、弱くなることを肯定的に捉えているパウロの姿が伺えます。
パウロは非常に優秀で、能力に恵まれた人でした。一方で、肉体的な弱さも抱えていて、そのことは彼をずいぶんと悩ませました(Ⅱコリント十二7~9)。そんなパウロが、弱さを積極的に捉えています。
コリント人への手紙は「弱さ」について繰り返し述べています。背景にあるのはコリント教会の分裂です。根っこにあるのは兄弟姉妹の間に見られた、他者よりも自分が上に立ちたいというマウント合戦です。しかしそれは、キリストの体である教会を傷つけ、引き裂き、人々を福音から遠ざけたことと聖書の記述から分かります。
コリント教会の兄弟姉妹にパウロが示したのは、弱さを受け入れる恵みがキリスト者にはあるということです。それこそが霊的な成長であり、キリストにある真の強さだというのです。キリスト者は弱さへと成長するのです。
世は弱さを価値が低いと見ます。しかし神は弱さを生かして用います。弱さを受け入れて神の助けを求めることは、神の前の謙遜で、そのような人を通して主は栄光を現わすのです。だから、弱くなることは主にあってマイナスではありません。
そのことを究極的に示したのがキリストの十字架です。神である御方が十字架の死という弱さの極みに至った時、救いの御業が成し遂げられました。
私たちが弱る時、十字架の意味をより深く知ることができます。また、他の人の弱さに共感させてくれます。弱さに生きる時、人は豊かな世界に生かされます。
主任牧師 荻野 泰弘
2024年3月10日 聖日礼拝式次第
プレイズサンデー
第1礼拝 9時 荻野と兄 山本実姉
第2礼拝 11時 荻野牧師 髙橋美姉
前 奏
招 詞 詩篇46篇10節
会衆賛美 聖歌104
主の祈り(口語訳)週報4面に掲載
交 読 詩篇113篇1~9節
礼拝祈祷
使徒信条(口語訳)週報4面に掲載
会衆賛美 All in all
会衆賛美 大いなる方に
聖書朗読 コリント人への手紙第一 9章19~23節
説 教 弱さを受け入れる
主にある強さ
荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌651
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽