2025年3月23日  巻頭言

 ルカ9章51節を境として、イエス様は明確に十字架を目指して進みました。ルカ十章のこの場面でも、受難と十字架の重荷がどれほど大きな緊張となってイエス様にのしかかっていたかと察するばかりです。
 その途上に「ある村(ベタニヤ村)」に立ち寄りました。そこに住んでいたマルタとマリアの姉妹、それに兄弟ラザロを加えた3人はイエス様に愛された家族です。イエス様は時折彼らの家に立ち寄っては、忙しさの中にひとときの休息を得ていました。この時も、イエス様は彼らのもとでひとときの安らぎを得たでしょう。
 そこに騒々しい問題が起こります。
 イエス様をもてなすために歓迎したマルタが忙しさで心を乱して姉妹マリアを非難しイエス様にまで不満をぶつけます(40)。
 「忙しい」という漢字は「心を亡くす」と書きます。まさにマルタは忙しさのあまりに最初に抱いた良き志を見失っていました。
 これは私たちには大きな警戒です。人の思いは、最初は無私であり他者への思いやりであっても、いつの間にかそれが独りよがりになることがあります。教会の奉仕も、主のためにという思いが自分のプライドにすり替わることがあります。私たちは自分を吟味することを忘れてはなりません。
 見倣いたいのはマリアの姿です。主の前に静まりみことばに耳を傾けることは、謙遜を育み、その静まりが主に喜ばれる奉仕の活動を生み出すことを教えています。
 彼女の生涯を貫くキーワードは「主の足もと」です(ルカ十39、ヨハネ十一32、十二3)。マリアはいつも主の足もとに身を置きました。それは謙遜を現す姿勢です。真の謙遜とはいつもいい子でいることではありません。彼女は心のうちにある疑問や悲しみの感情もイエス様に打ち明けました。問題の解決を主に期待するからです(ヨハネ十一章)。
 謙遜に主のことばを聴いたマリアは、十字架の死への備えとして、自らが持つ高価なナルドの香油を主にささげました。彼女の奉仕は主に喜ばれました(ヨハネ十二章)。十二弟子も同じように主の声を聞いたでしょう。しかしマリアだけが主に喜ばれる奉仕をささげました。マリアが謙遜にみことばを聴いた時、彼女は主を愛しただけでなく、主を理解したということです。
 静まることから主が喜ばれる奉仕、また、人を生かす働きが生まれます。忙しさは自分も他人も傷つけます。いのちの源である主の前に静まり、御声を聴きましょう。

主任牧師 荻野 泰弘

2025年3月23日  礼拝式次第


第1礼拝 9時 荻野牧師 荻野し兄
第2礼拝 11時 荻野牧師 髙橋美姉

前  奏
招  詞 エレミヤ書33章2,3節
会衆賛美 聖歌64 神の賜う愛
会衆賛美 主はぶどうの木
主の祈り 
交  読 詩篇127篇1~5節
礼拝祈祷 
使徒信条 
聖書朗読 ルカの福音書10章38~42節
説  教 静まりと仕えること
             荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌632 なおも御恵みを
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
 報告 
 感謝祈祷  奏楽