2025年7月27日 巻頭言

 先週は、1章の後半と2章の前半の記述から、キリストを信じる私たちが、神の大能の力によって生かされていることを見ました。かつてキリストを復活させ、天の座に着座させたところの神の大能の力は、今や信じる私たちの内にも働いているのです。罪の力に満ちた世界に生きる私たちは、翻弄され思い通りにいかないことが多々あります。見えるところはうまくいっていないようであっても、私たちの人生には神の大能の力による助けが満ちているのです。
 さて、そのように神様の特別な恵みに守られて生かされている私たちが、どんなことを期待されているのかを考えたいと思います。
 そもそも、私たちは「神の作品」として造られ、「良い行い」に歩む道が備えられていると聖書は告げます(10)。
 では、この「良い行い」とは一体なんでしょうか。具体的に何を示しているのでしょう。
 私たちは漠然と「良い行い」をイメージしているのではないでしょうか。真面目な生き方、礼拝をサボらない、困っている人を助ける、伝道や教会活動に参加する…などなど。一人ひとりに尋ねれば、いろいろな答えが返ってくるのではないかと思います。それは間違ってはいないでしょう。ただ、今回問いたいことは、それらを貫くもの、あるいは目指すものは何かということです。
 エペソ書のテーマ、前後の文脈から考えると、「良い行い」とは〝キリストの体である教会を建て上げる〟ということです。2章19~22節には、神の家族とされた私たちが組み合わされて成長し、「主にある聖なる宮」となると書かれています。「主にある聖なる宮」つまり〝教会〟です。私たちはこの地上にキリストをかしらとする教会を建てることで神の栄光を現わすことが求められています。それを妨げる悪の力と戦い、罪に沈む人たちに福音を伝えて教会に迎えます。また、救われた一人ひとりが成長することで、教会も成長するのです。そういう意味で、それぞれがイメージする「良い行い」は、教会の建て上げに繋がることが肝要です。一人ひとりの成長が教会の成長に繋がるのです。

主任牧師 荻野泰弘

2025年7月27日 聖日礼拝式次第

小礼拝  9時~ 荻野牧師
聖日礼拝 11時~ 中西と兄 髙橋美姉

前  奏
招  詞 歴代誌第一16章8,9節
会衆賛美 聖歌498 ほむべきかな
会衆賛美 神の国と神の義を(2回)
主の祈り 
交  読 詩篇1篇1~6節
礼拝祈祷 
使徒信条 
聖書朗読 エペソ人への手紙2章1節~22節
説  教 良い行いとは
            荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌160 キリスト・イエスを基として
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
 報告
 感謝祈祷  奏楽