2025年8月24日 巻頭言
「すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」
エペソ人への手紙3章16~19節
エペソ書にはパウロの祈りがふたつ記されています。
一つは1章15節から19節です。そこには、エペソ教会の兄弟姉妹一人ひとりが、キリストの恵み深さや豊かさを知ることができるようにと祈られています。個々の成長が促されるようにという祈りです。
もう一つが3章14節から21節です。こちらは、「すべての聖徒たちとともに」(18)とあるように、1章よりも、より共同体が意識された祈りです。教会の成長を意識した祈りと言えるでしょう。
私たちの信仰は個人主義的になりがちです。確かに信仰とは、その人個人の信仰告白がなければ原則的には成立しません。けれども、その信仰告白を支え、その後の成長を助けるのは、教会に共に集う兄弟姉妹との関わりです。時に自分が支えられ、時に自分が誰かを支えるという相互関係です。それはまさにキリストの愛を軸とした関係です。
聖書が示すキリストの愛を具体的に表すのは教会です。教会は建物ではありませんから、そこにいる私たち一人ひとりの言動や振る舞いによってキリストの愛が具現化されるということです。そのためには私たち一人ひとりの成長が必要であり、そのようにして成長するときに、それは個々の成長に留まらず、教会全体の成長に繋がります。だからパウロは、1章では個々の成長を祈り、3章では教会の成長を意識して祈っているのです。
特に3章で祈られていることは、キリストの愛を知るということです。愛は学習するものと言われます。勝手に心に湧き上がるものではなく、人は愛されるときに、自分も人を愛する者となれるのです。だからこそ、私たち自身がキリストの愛を知り続けることが大切です。
では私たちはどんなときに愛を知るでしょう?
たとえば、自分が弱っているとき、誰かが支えてくれるとそこに愛を感じるものです。そういう意味で、教会の交わりの中でキリストの愛を知るとは、自分自身の弱さを受け止めてもらったり、そこで支えてもらうということです。弱っている人が建て上げられていくところにキリストの愛が示されます。そのような私たちでありたいと願います。
荻野 泰弘牧師
2025年8月24日 聖日礼拝式次第
小礼拝 9時~ 荻野牧師
聖日礼拝 11時~ 荻野牧師 榊原姉
前 奏
招 詞 マタイの福音書 11章28節
会衆賛美 聖歌134 おおくのかむり
会衆賛美 主はぶどうの木
主の祈り
交 読 詩篇65篇1~13節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 エペソ人への手紙3章14~21節
説 教 教会のために祈るパウロ 荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌160キリスト・イエスを基として
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝 祷
報告
文書伝道デイ 証し(いのちのことば社)
感謝祈祷 奏楽