2025年12月7日 巻頭言

 クリスマスは色とりどりに彩られます。赤、白、緑、金などなど。それぞれにクリスマスを現す意味があります。これらとは別に、教会暦ではアドベントの典礼色は「紫」とされます。紫が示すのは悔い改めです。初代のクリスチャンたちは、イエス様の降誕を祝うクリスマスを迎えるにあたり、自らを省みて、神の前に遜り、信仰を新たにしました。
 悔い改めと聞くと重いものを感じるかもしれません。しかし、クリスチャンにとって悔い改めとは、自らの罪深さと向き合うとともに、神の救いの恵みを思うことです。罪の故に神の声を聞けず、神と共に生きることができず、罪の故に罰せられるべきであった私たちが、罪を赦され、神の栄光を現す者として生かされていることを思い返すのが悔い改めです。聖書が示す悔い改めとは、自虐や自分の価値を下げることではなく、神の恵みの前に頭を垂れ、へりくだった心で神に従う思いを新たにすることです。そうやって人は回復し立ち上がるのです。神は、割いて包む方であり、神の裁きは救いです。主は私たち罪深い者を整えるために、あえて厳しいところを通されることもありますが、それは単なる罰ではありません。
 ザカリヤは、子が与えられるという神の知らせを素直に受け取れませんでした。人間の常識からすれば致し方ないとも思います。ザカリヤ夫婦は高齢で普通では子を授かることが難しい状況だったからです。しかし神は、

ザカリヤにより高い信仰を求めました。みことばに信頼する信仰です。そこに至らせるために神はザカリヤに訓練の時を与えました。静まりの時間です。しゃべれないだけでなく聞こえなくもなり(ルカ一62)、音のない世界に置かれて黙って神を待ち望む時を過ごしました。それは同時に、神の恵みを思い巡らす時でした。彼の目の前では、日に日に妻エリサベツのお腹が大きくなっていくのです。神の業を目の当たりにしてザカリヤは御使いのことばを信じなかった不信仰を恥じたでしょう。同時に、人の弱さによっても止まらない神の恵み深さを知り、遜ったのです。 時が来て子が生まれたとき、ザカリヤの口は開かれ、神を褒め称える賛美があふれました(ルカ一67~79)。
 ザカリヤが黙って神を待ち望んだとき、彼の信仰は飛躍しました。私たちも、この季節、神の前に静まり、神を待ち望みましょう。

牧師 荻野泰弘

2025年12月7日 アドベント第二聖日礼拝 式次第


小礼拝  9時  荻野牧師
聖日礼拝 11時  荻野と兄 髙橋姉

前  奏
招  詞 ゼカリヤ書2章10節
「娘シオンよ、喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。―主のことば―」アーメン
会衆賛美 新聖歌70 朝日は昇りて
会衆賛美 Christmas is a time to love
主の祈り 
交  読 詩篇62篇1~12節
礼拝祈祷
使徒信条 
聖書朗読 ルカの福音書1章5~25節
説  教 黙って神を待ち望む 荻野泰弘牧師
聖  餐
会衆賛美 聖歌84 みかむりをもなれは捨てて
献  金
頌  栄 聖歌376 父御子御霊の
祝  祷
 報告
 後奏 感謝祈祷