2026年2月15日 巻頭言
ダビデはナタンに言った。「私は主の前に罪あるものです。」ナタンはダビデに言った。「主もあなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。
第二サムエル記12章13節
2月18日の水曜日は灰の水曜日と呼ばれ、この日から受難節に入ります。受難節はイエス様の苦難を思い起こしながら自らを省み、私たちに与えられている罪の赦しと恵みを思いめぐらす期節です。この期節を前に私たちはダビデの物語から、人間の罪と悔い改めについて思いめぐらし受難節の備えをさせていただきたいと思います。
①罪の現実
ダビデの王としての歩みは順風満帆に進んできました。彼は信仰をもって常に神と共に歩み、神の御心を求めて歩んでいました。しかし彼は部下の妻と関係を持ち、挙句の果てにその事を隠蔽するために部下を戦場の最前線に立たせ殺しました。(11節)聖書における罪とは、神を神として認めず、自分さえよければ他の人を蹴落としてもよいという自己中心です。この罪は全ての人が抱えています。たとえ信仰を持っていたとしても、ダビデのように神から離れ、他者を顧みず罪を犯す弱さを抱えているのです。
②聖霊の語りかけと悔い改め
ダビデは預言者ナタンによって自分の罪に気づかされました。私たちも様々な形を通して、聖霊によって罪に気づかされます。御言葉によって、また自分の失敗や様々な経験によって。私たちにとって最も大切なのは聖霊によって語りかけがあった時、どのように応答するかです。「自分とは関係ない」と突き放すのか、それともダビデのように「私は主の前に罪あるものです」とへりくだり、神様の方へ向きなおすのか。私たちが悔い改め、神の方へ向きなおす時、私たちの罪は赦され、新しい歩みが始まっていきます。
③イエス様の十字架による赦し
私たちがダビデのように神様の元に向きなおすことが出来るのは、イエス様の十字架によって罪の赦しが与えられているからです。信仰とは受け取ることです。私たちは自らを省みながら、神様の前に立ちかえり、イエス様の十字架によって与えられている罪の赦しを受け取る者となりましょう。
伝道師 林眞光
2026年2月15日 聖日礼拝 式次第
小礼拝 9時 林伝道師
聖日礼拝 11時 吉田兄 髙橋姉
前 奏
招 詞 黙示録19章5節
会衆賛美 聖歌495 救いをなしたもう
会衆賛美 イエスの血潮で
主の祈り
交 読 詩篇51篇1~19節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 第二サムエル記12章1~15節
説 教 ダビデ物語⑥~罪と悔い改め 林眞光伝道師
会衆賛美 聖歌449 罪のけがれを
献 金
頌 栄 聖歌376 父御子御霊の
祝福の祈り
報告
後奏 感謝祈祷