2020年7月19日 巻頭言

主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。あなたがたが聖なる会合として招集する主の例祭、すなわちわたしの例祭は次のとおりである。」

レビ記 23章1・2節

 レビ記には、エジプトの地から召し出されたイスラエルの民が、神の民として、すべての国民の中で、主の証人となるために必要な奉仕の規定とその規則が記されています。特に本日扱う23章は「聖なる会合」「主の例祭」についての、主からの命令です。共に集まることの大切さ、いつ、どのような意義づけをもって集まるかが示されています。
それは、カナンに入って、先住民の中に散って生活していく彼らにとって必要な神の配慮だったのです。
 主は、年間の定期的な例祭の規定の前に、まず「安息日」のことを記しておられます。一年を通じて七日ごとに行うべき例祭で、創造における神の業の完了を祝う礼拝と安息の日です。これは現代に生きるクリスチャンには、週の初めの日、すなわちイエス・キリストの復活を記念し、贖いの完成を祝うために集まる日として、命じられています。続いて、のちにユダヤの三大祭といわれる過越・七週・仮庵の祭を含む守るべき「主の例祭」が暦を追って挙げられています。
 これらの規定を「ねばならない」律法としてとらえるのではなく、私たちに、神が与え備えてくださっている恵みを、確認・維持・成長させるためのものとして受けとめましょう。
 本日の交読、詩篇122篇1節に「『さあ、主の家に行こう』 人々が私にそう言ったとき、私は喜んだ」と、あります。私たちは アーメン と言えるでしょうか。
 例祭(礼拝)を、「喜び」として、「喜びにつながるもの」として、「喜びを証しするもの」として捉えるとらえることができたら幸いです。

協力牧師  石田いつ子

7月19日 聖日礼拝 順序

 
前  奏
招  詞 ヨハネの福音書6章35節
「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」
アーメン
 
会衆賛美 聖歌494
会衆賛美 イエスの血潮で
主の祈り
交  読 詩篇122篇1~9節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 レビ記23章1~4節、44節
説  教 礼拝を喜ぶ
           石田いつ子牧師
会衆賛美 聖歌504
献  金
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
感謝祈祷  奏楽