2021年5月9日  巻頭言

母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰める。
エルサレムであなたがたは慰められる。

イザヤ書 66章13節

 「慰め」はイザヤ書のテーマで、神の救いです。神の慰めを得た人は生きる力に満たされます。イエス様はそれを示しました。何かができずに否定的に生きる人や社会で無価値と見られた人を慰めました。人々が神の言葉を聞くとその心は燃やされ前へ進む行動が生まれました。
 世の中は私たちを条件付きで受け入れます。キチンとできるならOK。弱音を吐かなければOK。一生懸命やっているならOK。人の役に立つならOK。すぐにできるならOKなどなど。これは裏を返せば、そうできなければダメということです。だから人は周囲から認められるために条件を満たそうと自らを駆り立てます。
人は成長の過程で様々な声を聞きます。特に母親や父親など養育者の声はその人の人格形成や生活習慣に大きな影響を及ぼします。
 なかでも、幼少期に聞く「○○しなさい」「○○であるべき」という類のメッセージはその人の価値判断を形作り、その人を動かす内なる声となり、その人の行動を駆り立てます。これをドライバーと呼びます。ドライバーは次の5つです。①完全であれ ②強くあれ ③努力せよ  ④他人を喜ばせよ ⑤急げ
 これは社会で生きるために必要な要素でもありますが、そうでなければ自分はダメだというメッセージであるため、その人を否定的な行動へと駆り立てます。それで自分を苦しめ、周囲との関係に悪影響を及ぼします。結果として傷つき、自分の存在価値にも自信をなくすのです。ですから自分を駆り立てる声は何かを知り、そうでなくても大丈夫だよと、自分に言い聞かせることが大切です。
 では、そうでなくても大丈夫という根拠は どこにあるのでしょうか?
 私たちはそれが聖書にあることを知っています。主こそ傷ついた私の心を慰める声を掛けてくださいます。この世には私たちを傷つける言葉が満ち、自分の内からは自分を追い立てる声が聞こえます。そんな声を打ち消して慰めと生きる力を注いでくださる主のことばを聴きましょう。神のことばを聴くこと、それは神を神として礼拝することから始まります。

主任牧師  荻野泰弘

5月9日 母の日記念礼拝順序

第一礼拝  9時 司会:穂谷 牧師   奏楽:荻野(し)兄
第二礼拝 11時 司会:穂谷 牧師  奏楽:榊原 姉

前  奏
招  詞 ハバクク書 2章20節
会衆賛美 聖歌28
会衆賛美 主はぶどうの木(1回)
主の祈り
交  読 詩篇19篇7~10節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 イザヤ書66章12~14節
説  教 慰めは主にある
          荻野泰弘牧師
会衆賛美 聖歌518(1,2節)
献  金 
頌  栄 聖歌376
祝  祷
報告
感謝祈祷  奏楽