2021年7月18日 巻頭言
イエスが山を下りて来られると、大勢の群衆がイエスに従った。
すると見よ。ツァラアトに冒された人がみもとに来て、イエスに向かってひれ伏し、「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」と言った。
マタイの福音書 8章1,2節
山上の説教を語り終えたイエス様は山を降り、大勢の人々の間に身を置かれました。すると次々と問題を抱えた人々の相談が舞い込み、イエス様はそれらに対応しました。山の上と下という対比に、天から人の世界に降り人々の間に生きたイエス様の姿が示されています。この世に生きる私たちの日常には様々な問題が起こりますが、今やイエス様はそこに聖霊を遣わし人々に必要な助けを与えてくださっています。
8章にはイエス様の助けを受け取った人々の姿が記されています。私たちがイエス様の助けを受け取るために心掛けることは何でしょうか。ツァラアトに冒された人に注目して考えましょう。
彼は自分がイエス様の助けを受ける資格がないとは考えませんでした。ツァラアトという社会から隔絶される病を得ても、神の恵みから漏れることはないとイエス様に信頼して助けを求めたのです。
また彼は解決をイエス様に委ねました。きよくなりたいと願いながらもそこに「お心一つで」(2)と言っています。「御心であるならば」ということで、彼は自分の願いよりもイエス様の御心がなることを求めました。神の思いに自分の心を開いたのです。
結果としてこの人は病を癒やされたわけですが、信じたら願いが叶うという御利益的に理解するのは誤りです。大切なことは、この人がイエス様に信頼して御心を求めたときに、神の助けを受け取ることができたということです。このときにはその結果が病の癒やしであったということです。
イエス様は彼のその後の生き方に一つのことを望みました。それは主を礼拝するということです(4)。神の恵みを受け取った人が礼拝者となることを主は望み、それが「人々への証し」(4)となると仰っています。御利益を得て喜ぶのではなく、神の恵みに感謝をささげる者となることが望まれているのです。
主任牧師 荻野 泰弘
7月18日 礼拝順序
第1礼拝 9時 司会:穂谷 牧師 奏楽:荻野し 兄
第2礼拝 11時 司会:荻野 牧師 奏楽:美名子 姉
前 奏
招 詞 ヨハネの福音書6章35節
会衆賛美 聖歌26(1,2節)
会衆賛美 鹿のように(1回)
主の祈り
交 読 詩篇16篇1~8節
礼拝祈祷
使徒信条
聖書朗読 マタイの福音書 8章1~4節
説 教 恵みを受け取る
荻野泰弘 牧師
会衆賛美 聖歌508(1,2節)
献 金
頌 栄 聖歌376
祝 祷
報告
感謝祈祷 奏楽